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賞の重みじわり実感…受賞決まった3人が会見

 史上初めて日本人3人が受賞を独占した今年のノーベル物理学賞の発表から一夜明けた8日朝、日本学術振興会理事の小林誠さん(64)と京都産業大学教授の益川敏英さん(68)はそれぞれ東京と京都で記者会見に臨んだ。米国シカゴ大では現地時間7日午前から、同大名誉教授の南部陽一郎さん(87)の記者会見が行われ、同大で82人目となる受賞を祝福した。

 ◆30年前までは「今年こそ」期待◆

ノーベル物理学賞受賞が決まり、記者会見する南部陽一郎・シカゴ大名誉教授(7日、米イリノイ州のシカゴ大で)=清水健司撮影

 【シカゴ(米イリノイ州)=増満浩志】南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授は7日午前(日本時間8日未明)、大学内で記者会見に臨んだ。

 南部さんはこの日、殺到する取材に対し「驚いた」「今もまだ信じられない」と繰り返していたが、記者会見では「約30年前までは『今年こそ』と期待していた」と明かした。

 トーマス・ローゼンバウム同大教授(物理学)は「業績だけでなく、温厚で寛大なすばらしい同僚」と語り、別の教授は「偉くなりすぎて、『これは自分の業績だ』と強く自己主張できなくなったのでは」と推察する。

 「自分のアイデアを宣伝するのが下手な人」と評するのは、南部さんの妻・智恵子さん(87)だ。1950年代に渡米してから半世紀以上。苦労を共にし、南部さんを支え続けてきた。

 南部さんが52年に日本を離れた時、長男がまだ幼かったため、智恵子さんは1年遅れて渡米した。「彼には(ノーベル賞を)取ってほしかった。本当に取れてうれしい」と涙ぐむ。

 「自発的対称性の破れ」の研究をまとめていたころ、長男が大病を患った。南部さんは、研究成果の発表を若手研究者に託し、学会を欠席して看病にあたった。幸い、長男は回復したが、苦労をして発表した論文は斬新すぎて評価されなかったという。

 そんな苦労を知り尽くしているだけに、智恵子さんは受賞の報に「うれしいショック」と感激。「授賞式でどんな服を着せるか、それが一番の心配」と話した。

帰宅後、妻の明子さん(左)と笑顔で喜び合う益川敏英・京都産業大教授(京都市左京区で)=里見研撮影

 ◆「南部先生と一緒」で涙◆

 益川敏英さんは、発表から一夜明けた8日朝、現在、教鞭(きょうべん)を執っている京都産業大で記者会見。

 開口一番、「眠たいです!」と会場の笑いを誘った益川さんだが、「偉大な物理学者」と慕う南部陽一郎さんとの同時受賞に感極まり、涙ぐむ場面もあった。

 報道陣の対応に深夜まで追われ、帰宅は8日午前1時半。妻の明子さん(65)と食事を取り、午前2時過ぎに就寝したが、その4時間後には明子さんに起こされたといい、同大学の会見場には、午前7時ごろ、濃紺色のスーツ姿で慌ただしげな様子で姿を見せた。

 「昨晩何を食べたのかも覚えていない。2人の息子からの祝いのファクスも目を通してません」と振り返った。涙を見せた理由についての質問には、「『老人性涙腺軟弱症』なんでしょうね」と照れ隠しのようにユーモア混じりに答えていた。

ノーベル物理学賞受賞が決まり、一夜明けての記者会見で笑顔を見せる小林誠・日本学術振興会理事(東京・千代田区で)=吉川綾美撮影

 ◆研究者らしく「時間できたら研究」◆

 小林誠さんは7日夜はマスコミ対応に追われ、茨城県つくば市の自宅には帰らず、都内のホテルで一夜を過ごした。8日朝、理事を務める東京都千代田区の日本学術振興会事務所で記者会見した。

 昨夜は午前1時に寝て、午前7時に起き、少し寝不足気味。ノーベル賞学者として迎えた初めての朝の感想を聞かれると「重荷を感じる気持ちが強まった」といつも通りの淡々とした口調で語った。

 10年以上にわたりノーベル賞候補と言われつづけてきただけに、「研究のことはこれまでに何度も話をしているので、記憶が何度も上塗りされていて、ナマの記憶がどこかに行ってしまっている」と話す。

 妻の恵美子さん(55)には、電話で「今晩帰らない」と連絡しただけで、受賞に関する話題はなかったという。「家族が喜んでいるかどうかはわかりませんから……」。お祝いの電子メールも大量に届いているが読む時間がないという。

 8日は終日マスコミなどの対応に追われるが、「時間ができたら物理をやりたい」と研究者らしい言葉で会見を締めくくった。

 会見後、日本学術振興会の臨時役員会で受賞を報告すると、役員からは「日本の科学振興にお知恵を」などと、早速の注文が出た。

2008年10月8日12時26分  読売新聞)
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