
今年度の新聞協会賞(ニュース部門)受賞が決まった読売新聞の「核密約文書 佐藤元首相邸に 日米首脳『合意議事録』存在、初の確認」(昨年12月22日夕刊)の特報は、東京本社・吉田清久記者(49)が文書を保管していた元首相の次男、佐藤信二・元通産相と信頼関係を深め、5年近くかけて公表にこぎ着けたものだ。「合意議事録」の現物の発見について、専門家らは、戦後政治史の第一級史料だと高く評価する。特報の経緯を通じて、密約の実態を改めて検証する。
核密約の「合意議事録」の存在が確認されたことを報じる昨年12月22日付の本紙夕刊(東京本社最終版)。佐藤家で発見された佐藤栄作首相とニクソン米大統領(当時)のサインがあり、「トップ・シークレット」の文字がある
佐藤栄作首相
日米間の核持ち込みなどの「密約」をめぐっては、長年、報道各社が米国で公文書などを発見して報じるたびに、外務省が一貫して「存在しない」と突っぱねる堂々めぐりが続いてきた。沖縄返還交渉で当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が有事の際の核持ち込みに関し、直筆で署名した「合意議事録」の実物発見の特報は、密約問題をめぐるそうした一連の不毛な論争に終止符を打つ画期的、決定的なニュースとなった。
1969年11月19日、両首脳がホワイトハウスでの会談後、大統領執務室の隣の小部屋に移動し、同行者に気づかれずにひそかに署名した合意議事録。佐藤首相の「密使」だった若泉敬・元京都産業大教授(故人)が著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(94年、文芸春秋刊)でその経緯を詳細に明らかにしたこともあり、数ある密約の中で、最も広く知られた存在だった。
ところが、この密約交渉は佐藤首相、ニクソン大統領、若泉氏と当時のキッシンジャー大統領補佐官(元国務長官)を除いては関与した人物がないとされた。他の密約とは異なり、米国の公文書でも存在が確認できなかった。
「佐藤首相が捨ててしまったに違いない。合意議事録はもはや存在しない」
昨年12月22日、合意議事録の現物を佐藤家が保管していることを本紙が報じるまで、外務省関係者や密約を研究する学者らは一様にこう口をそろえていた。
それだけに、明らかに本人の筆跡とわかる両首脳の署名が記された実物が発見されたことは、「これ以上ない、密約の動かぬ証拠」と大きな衝撃を広げた。 [全文へ]
| 元首相次男「例のもの、あった」 |
「公表を」説得5年
2005年1月下旬のある寒い日、私は佐藤栄作元首相の次男、佐藤信二・元通産相(78)の事務所に急いでいた。1990年代半ば、私は信二氏が所属した自民党・旧橋本派を担当し、信二氏とは旧知の間柄だった。
聞きたかったのは「ミニスカート」の話だった。
そのころ私は「読売ウイークリー」誌で企画を連載していた。モノを通して戦後政治史をわかりやすく振り返るもので、浅沼稲次郎社会党委員長が暗殺された時に着ていた背広や、「三木おろし」(76年)の際の「大福密約」の覚書などを取り上げていた。
ミニスカートは、沖縄返還を合意した69年11月の日米首脳会談の際、同行した寛子・元首相夫人が身に着けた。ファーストレディーのミニスカート姿が当時、大きな話題となった。
私が「お母様が首脳会談で渡米したときのスカートが残っていませんか」と尋ねると、信二氏は「(両親の)遺品は整理したから残っていないよ」と素っ気なく答えた。だがひと呼吸置いて、こう切り出した。
「でもね。例のものがあったんだよ。密約と言われているものが。代沢(東京・世田谷区)の家にあったおやじの書斎机を整理していたら、出てきたんだよ」
隠れていた歴史の真実に光が差し込んだ瞬間だった。 [全文へ]
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 吉田 清久記者
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(2010年9月2日 読売新聞)