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    武蔵アーカイブ

    後世に伝えるべき武蔵の「記憶」とは 【記者コラム】

     日本海軍の拠点が置かれていたトラック諸島(現ミクロネシア連邦・チューク州)の環礁内で、青い海面から赤黒い巨大な物体が突き出していた。

    • 戦艦「武蔵」を係留していたとされるブイ(2015年2月、トラック諸島沖で)=高沢剛史撮影
      戦艦「武蔵」を係留していたとされるブイ(2015年2月、トラック諸島沖で)=高沢剛史撮影

     「戦争中にこの島で働いていた兵士たちに聞き取ったところ、これは『武蔵』を係留するためのブイとして使われていました」。40年近く現地に滞在し、戦史を調べてきた末永卓幸さん(66)が教えてくれた。今年2月、トラック諸島で取材をしていた時のことだ。

     トラック諸島では1944年(昭和19年)2月、米機動部隊による激しい空襲で約40隻の艦船が撃沈され、今も多数の船が海底に眠っている。この時、武蔵は難を逃れたが、今も残る巨大なブイを目の当たりにし、在りし日の武蔵の姿に思いをはせた。その巨艦とみられる船体が、シブヤン海の約1000メートルの海底で発見されたという。

    「帝国海軍の栄光と挫折」象徴

     「戦後70年の年に、本当によく見つかったと思いました」。海上自衛隊の護衛艦に乗っていた幹部はこう語る。「伝統の継承」を重視する海上自衛官にとって、大和と武蔵は特別な存在だ。

     当時の最新技術を注いで建造された武蔵は、46センチの巨砲を搭載し、対米戦争の「秘密兵器」と位置付けられていた。ところが、完成した時にはすでに、空母機動部隊による航空決戦の時代が幕を開けており、1944年10月、能力を発揮できないままシブヤン海に消えた。海自幹部は「武蔵には帝国海軍の栄光と挫折が凝縮されている」と語る。

    激戦伝える船体の破損

     3月13日にインターネット上で生中継された「武蔵」とみられる船体の映像では、スクリューやいかりなど、原型をとどめている部品も確認できたが、船体そのものは大きく破損していた。戦艦同士の撃ち合いに備えて頑丈に作られた、鋼鉄の構造物を吹き飛ばした魚雷や爆弾の破壊力のすさまじさに、胸が苦しくなった。

     トラック諸島で出会った末永さんによると、かつては現地で働いていた将兵が数十人の団体を組んで再訪することがよくあったが、高齢化などで、その数は激減している。

     戦後70年を迎え、弾雨の中で悲惨な体験をした人たちが次々に世を去る中、戦場での記憶を後世にどう伝えるか。莫大(ばくだい)な費用が掛かることなどから、船体の引き揚げは難しいという。ならば、あらゆる角度から船体を撮影し、記録にとどめておくことはできないかと切に思う。

    (社会部 高沢剛史)

    2015年03月14日 09時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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