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    まとめ読み「NEWS通」

    上方落語の桂米朝さん・追悼ページ

     3月19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さんの告別式が25日、大阪府吹田市で営まれた。喪主を務めた米朝さんの長男、桂米団治さん(56)のほか、桂ざこばさん(67)ら米朝一門の弟子たちが黒紋付き姿で参列者を迎える中、多くのファンが訪れ、不世出の名人との別れを惜しんだ。(→記事へ)

    • 高座を務める(1977年12月頃、左)、インタビューで(1976年1月頃、右)
      高座を務める(1977年12月頃、左)、インタビューで(1976年1月頃、右)

    ・克明に独演会記録(4月15日)

     1640回――。3月に89歳で死去した落語家・桂米朝が、1966~2002年に全国で催した独演会の回数だ。落語研究家の小澤紘司氏(70)が、米朝の自宅(兵庫県尼崎市)にあった6冊の自筆ノートなどを分析し、判明した。(→記事へ)

    ・読んで聴いて米朝話芸…書籍やDVDなど人気(3月25日)

    3月19日に亡くなった落語家、桂米朝さんの関連書籍やDVDなどの販売が伸びている。落語全集や高座の映像、音源を通して、至高の話芸に触れようというファンが絶えない。(→記事へ)

    ・米朝さん通夜祭に1200人…名人に別れ(3月23日)

     19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さんの通夜祭が24日夜、大阪府吹田市内で営まれた。(→記事へ)

    ・「落語の神様のよう」…文枝さんら米朝さん悼む(3月21日)

     上方落語界を支えて来た、人間国宝の落語家、桂米朝さんが89歳で亡くなり、一夜明けた20日、上方落語協会会長の桂文枝さん(71)が取材に応じた。仕事先の兵庫県・淡路島のホテル前に現れた文枝さんは、「落語の神様のような存在。もっともっとお話をしたかった」と涙ぐんだ。(→記事へ)

    ・本物の落語ありがとう…米朝さん死去(3月21日)

     戦後の演芸界をリードした桂米朝さんが19日に亡くなり、出身地の姫路や自宅のある尼崎など兵庫県内各地で、親交のあった人たちが米朝さんの端正な語り口の芸風や古里を愛したやさしい人柄を心から惜しんだ。(→記事へ)

    ・読んで聴いて米朝話芸…書籍やDVDなど人気(3月25日)

    19日に亡くなった落語家、桂米朝さんの関連書籍やDVDなどの販売が伸びている。落語全集や高座の映像、音源を通して、至高の話芸に触れようというファンが絶えない。(→記事へ)

    ・「上手に亡くなりはったな」…ざこばさん涙(3月20日)

     一夜明けた20日午前、長男の桂米団治さん(56)、一門の桂ざこばさん(67)らが、大阪市内で記者会見し、米朝さんをしのんだ。(→記事へ)

     

    ・落語家の人間国宝・桂米朝さん死去(3月20日)

    上方落語の復興に力を尽くし、落語家として初めて文化勲章を受章した三代目桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため死去した。89歳だった。(→記事へ)

    上方落語に発展に尽くした生涯(関連記事)

    • 紫綬褒章の受賞者に決まり、喜びを語る桂米朝さん(1987年4月撮影)
      紫綬褒章の受賞者に決まり、喜びを語る桂米朝さん(1987年4月撮影)

    ・独演会「地獄八景亡者戯」古典に現代感覚盛り込む(1988年7月28日夕刊掲載記事)

     桂米朝の独演会を、さる十八日に大阪のサンケイ・ホールで聴いた。十八番の「地獄八景亡者戯」をやるのは、これが最後と伝え聞いたので、出向いたのである。(→記事へ)

    ・「学生が日本語わからんやて」(1994年10月12日大阪夕刊掲載記事)

     最近、古典がやりづらくなったという。

     「落語に出てくる古い大阪弁がわからんというのはまだええんです。日本語がわからんと言い出した。この間、学生に『時のミカド』て何ですか、と聞かれましてね。古い言葉の言い換えには苦心してきたんですが、もう限界ですなあ」(→記事へ)

    ・上方落語で初の人間国宝(1996年4月20日朝刊掲載記事)

     「絵や仏像やったら売れるけど、この国宝は売れへんしねえ」――。昨年の小さんさんに続いて落語界では二人目の人間国宝に認定され、照れ臭そうに喜びを語った。(→記事へ)

    • 文化功労者に内定し、会見したときの桂米朝さん(2002年10月撮影)
      文化功労者に内定し、会見したときの桂米朝さん(2002年10月撮影)

    ・リスナー参加の番組誕生 DJ・桂米朝(1997年8月21日夕刊掲載記事)

     上方落語の第一人者として、半世紀にわたってその復興に尽力した桂米朝(71)は、放送界にも大きな足跡を残した。落語家として初めてディスクジョッキー(DJ)を務めたのである。(→記事へ)

    ・文化功労者に…落語復活、あの手この手で(2002年10月31日大阪朝刊掲載記事)

     「私自身は恐縮してますが、業界(落語界)のためになると思い本当に喜んでます。どないゆうたらええかご相談したいぐらいです」(→記事へ)

    ・けがからの復帰興行(2006年11月13日大阪夕刊掲載記事)

     胸つい圧迫骨折で8月から静養していた人間国宝の落語家、桂米朝が8日、大阪市天王寺区の大阪国際交流センターで開かれた落語会で、約3か月ぶりに本格的な舞台復帰を果たし、元気な姿を見せた。(→記事へ)

    ・文化勲章「自分で褒めてやりたい」(2009年10月28日朝刊掲載記事)

     落語家として初の受章にも「ほんま、どう言うていいか。夢にも思わなんだ」と飄々ひょうひょうと語る。(→記事へ)

    • 高座で挨拶する桂米朝さん(1978年4月頃、撮影)
      高座で挨拶する桂米朝さん(1978年4月頃、撮影)
    2015年04月15日 09時55分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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