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ご結婚50年 天皇、皇后両陛下の会見全文(1)

お互いに「感謝状を」


ご結婚50年の記者会見に臨まれる天皇、皇后両陛下(皇居で)=竹田津敦史撮影

 天皇、皇后両陛下は10日、ご結婚50年を迎え、祝賀行事に臨まれる。これに先立ち、両陛下は皇居・宮殿で記者会見し、50年を迎えるにあたっての感想を述べられた。お二人は互いに感謝の気持ちを繰り返し口にされ、天皇陛下が会見中、感極まって声を詰まらせる場面もあった。相手に贈る言葉としては、お二人とも「感謝状を」と述べられた。

(2009年4月10日付朝刊掲載記事)
映像あり 動画 両陛下御結婚満50年記者会見 その1
映像あり 動画 両陛下御結婚満50年記者会見 その2
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 ご結婚50年を迎えられた天皇、皇后両陛下の記者会見でのやり取りは以下の通り。

 ――(問1)両陛下にお尋ねいたします。ご成婚の日から50年の月日が流れ、高度成長期からバブル崩壊、いくつもの自然災害や景気悪化など、世相、人の価値観も大きく変わる中、両陛下も皇室に新しい風を吹き込まれてきました。皇太子同妃両殿下として、天皇、皇后両陛下として夫婦二人三脚で歩んできたこの50年を振り返り、お二人で築きあげてきた時代にふさわしい新たな皇室のありよう、一方で守ってこられた皇室の伝統についてお聞かせいただくとともに、それを次世代にどう引き継いでいかれるのかもお聞かせください。

ご回答

 天皇陛下 結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることをまことにうれしく、深く感謝しています。ただ、国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。

 顧みますと、私どもの結婚した頃は、日本が多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から日本国憲法のもと自由と平和を大切にする国として立ち上がり、国際連合に加盟し、産業を発展させて国民生活が向上し始めた時期でありました。

 その後の日本はさらなる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。また都市化や、海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は、人々の生活から離れた存在となりました。

 結婚後に起こったことで日本にとって極めて重要な出来事としては、昭和43年(1968年)の小笠原村の復帰と昭和47年(72年)の沖縄県の復帰が挙げられます。両地域とも先の厳しい戦争で日米双方で多数の人々が亡くなり、特に沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなりました。返す返すも残念なことでした。

 一方、国外では平成になってからですが、ソビエト連邦が崩壊し、より透明な平和な世界ができるとの期待が持たれましたが、その後、紛争が世界の各地に起こり、現在もなお多くの犠牲者が生じています。

 今日、日本では人々の努力によって都市などの環境は著しく改善し、また自然環境もコウノトリやトキを放鳥することができるほど改善されてきましたが、各地で高齢化が進み、厳しい状況になっています。

 ますます人々が協力し合って社会を支えていくことが重要になってきています。私どもはこのように変化してきた日本の姿と共に過ごしてきました。様々なことが起こった50年であったことを改めて感じます。

 皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ、私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。

 不幸にも若くして未亡人となった私の姉の鷹司(たかつかさ)神宮祭主のことはいつも心に掛け、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、ある時、昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたが、どのように過ごしたのかというお話があったことがありました。

 皇后は兄弟の中で姉だけを持たず、私との結婚で姉ができたことがうれしく、誘ってくれていたようなのですが、このときの昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思い出されます。

 私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを果たしていく上に大きな支えとなってくれました。

 時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来、昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを致し、また日本国憲法にある、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である、という規定に心を致しつつ、国民の期待に応えられるよう願ってきました。

 象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています。

 なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。

 守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。

 この中には新嘗祭(にいなめさい)のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀(さいし)もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものは、そのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。したがって現在、私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種もみをまくことから始めています。

 学士院賞や芸術院賞受賞者などを招いての茶会なども、皇后とともに関係者と話し合い、招かれた全員と話ができるように形式を変えました。短時間ではありますが、受賞者、新会員みなと話をする機会を持て、私どもにとっても楽しいものとなりました。

 皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇のあり方としてその望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。

 皇后さま 50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りました時、不安と心細さで心がいっぱいでございました。今日こうして陛下のおそばで金婚の日を迎えられることを本当に夢のように思います。

 結婚以来、今日まで陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらした頃には将来の象徴として、のちに天皇におなりになってからは日本国そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。

 こうしたご努力の中で陛下は国や人々に寄せる気持ちを時と共に深められ、国の出来事や人々の喜び、悲しみにお心を添わせていらしたように思います。

 50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯(しんし)にとるべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。陛下のお時代を共に生きることができたことを心からうれしく思うとともに、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった大勢の方たちに感謝を申し上げます。

 質問の中にある皇室と伝統、そして次世代への引き継ぎということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事および祭祀とも昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また皇室が過去の伝統と共に現代を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に今という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。

 伝統と共に生きるということは時に大変なことでもありますが、伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。

 また伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。

 WBC(野球の国・地域別対抗戦)で活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、ござるとか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。

 陛下のおっしゃるように、伝統の問題は、引き継ぐと共に次世代に委ねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たちがそれぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。

2009年4月10日  読売新聞)
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