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    ノーベル賞

    天国の戸塚さんに届け 梶田さんのノーベル賞受賞の報

    東京大学海洋アライアンス上席主幹研究員 保坂直紀

    百戦錬磨のリーダー、鬼軍曹、ふつうの人

    • ノーベル物理学賞を受賞し、笑顔で記者会見する東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長
      ノーベル物理学賞を受賞し、笑顔で記者会見する東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長

     「ほんとうに取ったんだ。よかった、ほんとうによかったですね」

     東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長が、今年のノーベル物理学賞に決まった。10月6日の夕刻、インターネットで流れるスウェーデン王立科学アカデミーのアナウンスを大学の自室で聞いて、心の中でまっさきに呼びかけたのは、梶田さんには申し訳ないが、2008年に66歳で亡くなったスーパーカミオカンデの鬼軍曹、戸塚洋二さんだった。

     飛騨の山中にあるスーパーカミオカンデは、今回の受賞業績を生みだした素粒子「ニュートリノ」の観測装置だ。読売新聞の科学記者として梶田さんに初めて会ったのは1998年の5月末。この観測装置を運用する宇宙線研の所長だった戸塚さんに紹介してもらった。梶田さんが今回の受賞業績を発表することになる岐阜県高山市での国際会議が、10日後に迫っていた。その事前取材に訪れたのだ。

     まだ廃線になっていなかった神岡鉄道の茂住駅で降り、そばを流れる高原川を見て集落まで歩く。その静かな山あいに、研究施設があった。このとき助教授だった梶田さんは、とても物静かで、これから大成果を発表しようとする研究者には見えず、ちょっと拍子抜けしたのを覚えている。というのも、それまでに会った2人のニュートリノ研究者とは、印象があまりに違ったからだ。

     その2人とは、梶田さんも受賞決定後の記者会見で名前を挙げていた、恩師の小柴昌俊・東京大学特別栄誉教授と、スーパーカミオカンデの総責任者だった先輩研究者の戸塚さんだ。スーパーカミオカンデの前身であるカミオカンデをつくり、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴さんは、まさに百戦錬磨のプロジェクトリーダーという印象。戸塚さんは、ふだんは新聞記者とも酒を飲んで親しく話をしてくれるが、「この人に研究のことで叱られたら、さぞかし怖いだろうなあ」と思わせる、自称鬼軍曹の(すご)みを感じさせた。それにくらべて、梶田さんは、ごくふつうの人だったのだ。

     これが私の早とちりだったことは、それから何回か取材していくうちにわかってきた。むしろ、現場の科学者として「観測」の厳しさを教えてくれた「ふつうでない人」は、梶田さんだったのかもしれない。

     翌年、すでに教授になっていた梶田さんをふたたび訪ねたとき、梶田さんは自分の研究歴を振り返りながら、「観測データが私を支えてくれるんです」と言った。今回の受賞業績は、宇宙から降り注いでくるニュートリノを、ひたすら観測した結果だ。その「観測」が生やさしいものではないことが、この一言に凝縮されている。

     ニュートリノは、きわめて物質を透過しやすい。だから、たまにしか検出器に引っかからない気まぐれなこの素粒子を、こちらは、つねにベストな状態で待ち続けなければならない。「実験」のように、てきぱきと装置を整備して、次から次へと作業をこなすというわけにはいかない。観測は、自然相手の「待ち」の作業なのだ。毎日が、この緊張感の繰り返し。勝算だって、十分にあるわけではない。世界の科学者が納得するデータがたまるまで、それが何年も続く。

    2015年10月08日 10時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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