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    歴史

    大河ドラマ「真田丸」の舞台(4)…上杉謙信・景勝の「春日山城」

    城郭ライター・萩原さちこ
     NHK大河ドラマ「真田丸」では、主君・武田氏滅亡後に臣従する相手を次々に代えた真田昌幸がついに徳川家康と対立する。この時、昌幸は越後の上杉景勝と同盟し、景勝の居城・春日山城に次男の信繁を人質として送った。景勝の養父・謙信の城として名高い春日山城とはどんな城だったのか。また、一度は裏切った真田をどうして上杉が受け入れたのか。 「真田の城(上)『上田城』」 「同(下)『真田丸』」 「武田氏を翻弄した3つの城(新府城、岩櫃城、岩殿城)」 「真田昌幸が死守した因縁の沼田城」 に続き、城郭ライターの萩原さちこさんに解説してもらう。

    戦国のカリスマ、上杉謙信が過ごした春日山城

    • 上杉氏の居城・春日山城の遠景。別名・蜂ヶ峰といわれる標高約180メートルの春日山に築かれている(上越市提供)
      上杉氏の居城・春日山城の遠景。別名・蜂ヶ峰といわれる標高約180メートルの春日山に築かれている(上越市提供)

     室賀正武を暗殺し、ついに徳川家康との決裂が決定的となった真田昌幸。生き残るための後ろ盾として、上杉景勝に庇護を求めます。しかし一度は景勝を裏切った昌幸ですから、そう簡単に信用は得られません。そこで臣従の証しとして真田信繁を人質とし、矢沢頼綱(昌幸の叔父)の嫡子・頼幸とともに景勝の居城・春日山城(新潟県上越市)へ送りました。

     春日山城といえば、なんといっても越後の虎と恐れられた戦国武将・上杉謙信の生涯の居城として有名で、観光地としても人気があります。現地を訪れるとまず出迎えてくれるのは、謙信の勇ましい銅像です。謙信は1530年(享禄3年)にこの城で生まれ、この城から数々の戦に出陣しました。1578年(天正6年)3月13日に没したのもこの城です。

     春日山城は、標高約180メートルの春日山(蜂ヶ峰)に築かれた山城です。戦国時代に謙信の父・長尾為景(ためかげ)が本格的な城へと整備し、謙信が拡張して完成させました。戦国大名の居城としては典型的なつくりで、広い敷地に一族の屋敷や重臣の屋敷なども含めた200以上に及ぶ膨大な曲輪(くるわ)(削平された区画)を並べて、全山を要塞化しています。

    • 春日山中腹にある謙信公の銅像。ここから本丸までは片道約20分の道のりとなる(上越市提供)
      春日山中腹にある謙信公の銅像。ここから本丸までは片道約20分の道のりとなる(上越市提供)

     標高はそれほど高くないのですが、とにかく広大。浸食谷が入り込んだ自然地形を巧みに利用しながら、土木工事で大小多数の曲輪や空堀を設けて防御力を高めています。

     本丸にあたる実城(みじょう)からは日本海や頸城(くびき)平野、それを取り巻く山並みをも一望できます。絶景を前にすれば、登城の疲れも吹き飛ぶでしょう。柏崎・寺泊・直江津などの港は謙信時代に直轄領とされ、出入りする船に課せられた関税が国を潤す財源となっていました。

    • 復元された毘沙門堂。謙信は毘沙門天を戦の神として崇拝し、戦の前は毘沙門堂に籠もって戦勝祈願をしたという(上越市提供)
      復元された毘沙門堂。謙信は毘沙門天を戦の神として崇拝し、戦の前は毘沙門堂に籠もって戦勝祈願をしたという(上越市提供)

     復元された毘沙門堂の尾根筋には、毘沙門堂や護摩堂などが点在していました。毘沙門天は四天王の一人で、仏法と仏教徒を(まも)る十二天及び帝釈天に仕え、須弥山(しゅみせん)(仏教で世界の中心を示す)の北方を守護し、軍神・武神とされます。戦の神として深く崇拝しただけでなく自らを毘沙門天の転生と信じていたという謙信は、戦場に赴く時は毘沙門堂に籠もって戦勝を祈願し、「毘」の軍旗をはためかせて出陣したといわれます。

     若き日の謙信が過ごしたのが、山麓の林泉寺です。謙信の祖父・長尾能景(よしかげ)が、父・重景(しげかげ)の菩提を弔うため1497年(明応6年)に建立しました。謙信は名僧・天室光育の教えのもと、7歳から14歳までをここで過ごしました。教養が高く信仰心が厚い謙信の素養は、この時期に培われたといわれています。

    景勝は人質になった信繁を気に入った?

     大河ドラマで描かれたように、景勝は信繁を気に入ったようです。信繁に関する史料は少なく謎だらけですが、豪傑タイプではなく温厚な人柄で、なぜか人を()き付けてしまう魅力があったといわれます。景勝もまた、そんな信繁に魅了されたひとりだったのかもしれません。重臣の直江兼続は信繁を人質ではなく客将(客分として遇される武将)として扱い、1000貫の知行(所領の支配権)を与え、上杉家家臣と同等の待遇をしたとされています。

     真田一族存亡のキーマンとなる景勝ですが、その動向は大河ドラマではあまり描かれていません。なぜ、真田氏を受け入れ、北条に(くだ)った真田氏を許して再び交誼を結んだのでしょうか。上杉氏がどのような状況にあったのか、時間を巻き戻して舞台裏に迫ってみましょう。

     

     

    2016年03月28日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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