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    歴史

    大河ドラマ「真田丸」の舞台(6下)…“のぼうの城”と石垣山一夜城

    城郭ライター・萩原さちこ

     NHK大河ドラマ「真田丸」で、 名胡桃 ( なぐるみ ) 城事件を契機に始まった小田原攻め。( )に続いて、石田三成が手こずり、映画「のぼうの城」でも知られる ( おし ) 城、北条氏に戦意を失わせた石垣山一夜城について、萩原さんが解説する。

    “のぼうの城”忍城の水攻め

    • 忍城は山内上杉氏配下の豪族・成田親泰(ちかやす)が築城したとされ、関東七名城に数えられる。写真は本丸跡に1988年(昭和63年)に建造された三階櫓(やぐら)
      忍城は山内上杉氏配下の豪族・成田親泰(ちかやす)が築城したとされ、関東七名城に数えられる。写真は本丸跡に1988年(昭和63年)に建造された三階櫓(やぐら)

     上野(こうずけ)(群馬県付近)、西下野(しもつけ)(栃木県付近)を制圧した昌幸ら東山道(とうさんどう)軍は、北武蔵(埼玉県付近)に進軍します。北武蔵の諸城も次々に開城しますが、唯一抵抗したのが、(おし)城(埼玉県行田市)でした。石田三成による忍城攻めを題材にした小説「のぼうの城」は映画化もされましたから、この戦いを知る人も多いでしょう。

     当時、北条方の城では城主のほとんどは小田原城へ入っていたため、城代(城主の留守に城を預かる者)が置かれていました。忍城もその例で、成田氏長に代わり、成田泰季(やすすえ)長親(ながちか)父子が城を守っていました。

     忍城は北の利根川と南の荒川(元荒川)に挟まれた低地にあり、扇状地に点在する沼地を味方にした城でした。そこで三成は秀吉の命により、水攻めを行ったといわれます。水攻めは沼地に守られる城の立地条件を逆手に取り、周囲を囲むなどして城を水没させる方法です。

     水攻めといえば、かつて秀吉が行った備中高松城(岡山県岡山市)攻めを連想するでしょう。秀吉は湿地帯の微高地に築かれた城の周囲に突貫工事で堤防を構築し、大雨の後に城内へ一気に水を流し込むことで、城を孤立させ降伏させることに成功しました。

    • 忍城攻めの際に三成が陣を置いたとされる丸墓山古墳と石田堤。日本最大の円墳として知られる
      忍城攻めの際に三成が陣を置いたとされる丸墓山古墳と石田堤。日本最大の円墳として知られる

     三成は、備中高松城攻めと同じ要領で水攻めを行いました。忍城を一望できる丸墓山(まるはかやま)古墳に本陣を置き、成田長親と家臣や農民3000が立て籠もる忍城を包囲。そして近くの利根川から忍城付近まで、総延長約28キロに及ぶ堤防を構築して、忍城の水没を狙ったのです。

     計数などの実務を得意とする三成らしく、築堤はわずか5日で終わったといわれます。ところが大雨によって堤防が決壊し、三成陣営にまで冠水。自軍に溺死者を出して、水攻めは失敗に終わりました。地形上、水攻めを成功させるのは難しかったようです。現在の忍城は市街地化され、当時の遺構はほとんどありませんが、三成が築いたとされる石田堤が断片的に残っています。

    【関連サイト】
    「忍城に関する歴史」(埼玉県行田市)

     

     

    2016年06月14日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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