文字サイズ
    歴史

    大河ドラマ「真田丸」の舞台(7)…北条氏の居城・小田原城

    城郭ライター・萩原さちこ
     NHK大河ドラマ「真田丸」で豊臣秀吉の大軍に包囲され、開城した小田原城(神奈川県小田原市)。その後、天守と石垣を備えた城に改修された。現在の姿は江戸時代の城を再建したものだが、北条時代の城跡も見ることができる。最近の発掘調査では、考古学ファンをわくわくさせる新発見もあるとか。 「上田城」 「真田丸」 「新府城、岩櫃城、岩殿城」 「沼田城」 「春日山城」 「大坂城」 「名胡桃城事件と北条攻め」 「“のぼうの城”と石垣山一夜城」 に続き、萩原さんが解説する。

    北条氏が誇った堅城・小田原城

    • 小田原城天守閣。江戸時代の模型や設計図をもとに、1960年(昭和35年)に復元された(萩原さちこ撮影、以下同じ)
      小田原城天守閣。江戸時代の模型や設計図をもとに、1960年(昭和35年)に復元された(萩原さちこ撮影、以下同じ)
    • 小田原駅前の北條早雲公像。2代氏綱が本拠地を小田原城へ移し、5代氏政までの居城となった
      小田原駅前の北條早雲公像。2代氏綱が本拠地を小田原城へ移し、5代氏政までの居城となった

     「ここまででござる」。北条氏政は切腹し、北条氏直は高野山へ追放――。1590年(天正18年)7月、ついに小田原城は開城し、5代続いた北条氏は滅亡を迎えました。

     大河ドラマでは「命を惜しまれませ。新しい道を生き直してくださいませ」と真田信繁が氏政に訴えていましたが、その言葉は届きませんでした。真田昌幸をはじめ徳川家康や上杉景勝の説得にも応じず、散り去った氏政の最期のシーンが印象的でした。

     北条氏が滅亡すると、小田原を含む関東の地は徳川家康の領地となります。家康は江戸を本拠としたため、小田原城には家臣の大久保忠世が入り、改修して新しい城へと生まれ変わりました。ですから、現在の小田原城は北条氏時代の小田原城ではなく、北条氏時代には天守も石垣もありませんでした。

     現在の近世の城へと大改修したのは、1632年(寛永9年)に城主となった稲葉正勝と子の正則です。しかしその後、1703年(元禄16年)の元禄地震で天守や本丸御殿、二の丸御殿をはじめ建造物はほぼ倒壊・焼失。石垣や土塁も崩落します。天守は1706年(宝永3年)に修復されたものの、1870年(明治3年)の廃城後に解体されてしまいました。天守台をはじめ本丸や二の丸の石垣も、1923年(大正12年)の関東大震災で崩落しています。現在の天守は、宝永年間(1704~11年)の再建の際に作られた模型や設計図をもとに、1960年(昭和35年)に復興されたものです。

    • 小田原駅近くに復元された、北条氏政の墓所。三つ並ぶ五輪塔のうち、中央が氏政の墓。氏政は五輪塔前の平らな石(生涯石)の上で自刃したと伝わる
      小田原駅近くに復元された、北条氏政の墓所。三つ並ぶ五輪塔のうち、中央が氏政の墓。氏政は五輪塔前の平らな石(生涯石)の上で自刃したと伝わる

     江戸時代の姿が復元されている小田原城ですが、実は戦国時代の遺構も残存しているのが大きな特徴です。北条氏時代の中世の小田原城と、徳川氏時代の近世の小田原城の二つの城が共存しているのです。北条氏時代の小田原城はどんな城だったのか、その実態に迫っていきましょう。

     

     

     

    2016年06月20日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    PR
    今週のPICK UP
    PR
    今週のPICK UP