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    歴史

    大河ドラマ「真田丸」の舞台(9)…「幻の城」伏見城

    城郭ライター・萩原さちこ
     NHK大河ドラマ「真田丸」では豊臣秀吉がいよいよ晩年を迎えた。その後継を巡って豊臣政権が揺らぎ、関ヶ原の戦いを経て徳川政権が誕生した後まで、ドラマの主な舞台となったのが伏見城(京都市伏見区)だ。複数の顔を持つこの城では昨年、大きな発見もあった。 「上田城」 「真田丸」 「新府城、岩櫃城、岩殿城」 「沼田城」 「春日山城」 「大坂城」 「名胡桃城事件と北条攻め」 「“のぼうの城”と石垣山一夜城」 「小田原城」 「名護屋城と倭城」 に続き、萩原さんが解説する。

    秀吉が築いた伏見城とは

    • 伏見桃山城天守。レジャー施設「伏見桃山城キャッスルランド」のひとつとして建てられた。実際の伏見城天守とは、場所も外観も史実とは関係ない。閉園後、建物は保存されたが現在は建物内部に入ることはできない(萩原さちこ撮影、以下同じ)
      伏見桃山城天守。レジャー施設「伏見桃山城キャッスルランド」のひとつとして建てられた。実際の伏見城天守とは、場所も外観も史実とは関係ない。閉園後、建物は保存されたが現在は建物内部に入ることはできない(萩原さちこ撮影、以下同じ)

     大河ドラマで描かれたように、1596年(文禄5年)7月13日子の刻、現在の京都市伏見区付近でマグニチュード8とも推定される「慶長伏見大地震」が発生しました。まるで豊臣政権の崩壊を予見するような大惨事。この慶長伏見大地震により、完成間近だった秀吉の居城・伏見城も大破しました。

     伏見城というと、現在の伏見桃山城運動公園(京阪・伏見桃山駅及び近鉄・桃山御陵前駅の北東に位置する)に立つ天守を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、その天守は慶長伏見大地震で倒壊した天守とは無関係のもの。後世に建てられた建物で、外観も場所も史実と異なります。

     伏見城の歴史は、大きく4期に分かれます。豊臣秀吉による隠居屋敷(第1期、指月(しげつ)隠居屋敷)、秀吉が桃山丘陵南端部の伏見指月に築いた伏見城(第2期、指月伏見城)、慶長大地震後に北東約1キロの木幡山(こはたやま)に場所を移して築いた伏見城(第3期、豊臣期木幡山伏見城)、その伏見城が焼失後に徳川家康によって再建された伏見城(第4期、徳川期木幡山伏見城)です。慶長伏見大地震により倒壊した第2期伏見城は、その後再建された第3期・第4期伏見城とは違う場所にあったのです。

     秀吉が築いた伏見城とは、どんな城だったのでしょうか。変遷と実態に迫ってみましょう。

    ※指月は「しづき」と読むこともある
     

    【関連サイト】
    「伏見区の歴史:安土桃山時代 秀吉が開いた城下町」(京都市伏見区)

    2016年07月25日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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