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    経済

    米ボーイング100年史に刻まれた日本の「空」

    航空ジャーナリスト 青木謙知
     世界最大の航空宇宙企業「ボーイング」が今年7月、創立から100年を数えた。米シアトルで小さな水上機メーカーとして産声を上げたあと、軍用機や大型旅客機に手を広げながら世界に版図を広げていった。そのボーイングと、日本の航空・防衛産業は歴史的に密接な関わりを持ってきた。現在開発中の国産旅客機MRJに至る、同社と日本の「空」の歴史について、航空評論家の青木謙知さんにひもといてもらった。

    独立記念日の曲芸飛行

    • 創業者ウィリアムズ・エドワード・ボーイング(右)(ボーイング・ジャパン提供)
      創業者ウィリアムズ・エドワード・ボーイング(右)(ボーイング・ジャパン提供)

     ボーイングは恐らく日本で最も有名な外国の航空機メーカーである。社名に名が冠せられている創業者ウィリアムズ・エドワード・ボーイングは、1908年にアメリカのワシントン州シアトルで木材関連の事業を興し、家具製作や造船などを手がけていた。14年の独立記念日にシアトルで曲芸飛行が行われ、彼がその飛行機に同乗したのが、ボーイングが航空機と関わる原点と言われている。

     しかし、ビジネスの点では、友人であり、マサチューセッツ工科大学で航空工学を学び、航空機ビジネスが将来有望であるとの持論を持っていたジョージ・コンラッド・ウェスターベルトの影響が大きい。航空産業の将来性、その設計・製造に意気投合した2人は、複葉の単発水上機の設計・製造を進め、16年6月5日に2人の頭文字から名付けた航空機B&Wの初飛行に成功した。ちなみに、この時操縦したのはボーイングだった。航空機の魅力にとりつかれたボーイングは、B&Wの製造の傍ら、操縦訓練を受けてライセンスを取得していたのである。

     このB&Wの製造・販売を行うため、2人が「パシフィック・エアロ・プロダクツ」と名付けた会社――のちのボーイング――を設立したのが、同年7月15日だった。すなわち、今年は航空機メーカーとしてのボーイングが設立されて100周年に当たるのである。なお、ウェスターベルトは海軍の軍人であったため、実際は会社設立には関わらず、その後の事業化はボーイングが1人で行った。パシフィック・エアロ・プロダクツは翌17年4月26日、社名をボーイング・エアプレーンに変更し、今に至る。

    軍用機メーカーとして飛躍

     会社を設立できたものの、順風満帆な船出とはいかなかった。B&Wはボーイングが期待していたアメリカ海軍の練習機の選定から漏れ、続いて開発したモデル5とモデル6も成功作と呼べるものではなかった。そのため、彼は航空機事業の維持と技術の蓄積のために他社の航空機製造を手伝う日々を送ったほどだった。しかし、そうした経験をもとに23年に完成させたモデル15単発複葉戦闘機は、陸軍と海軍の双方に採用され、改良・発展型も含めて198機を製造するという、初期のボーイングの出世作となったのである。

     軍需の高まりも味方した。第1次、第2次世界大戦を通じて、ボーイングもアメリカの主要航空機メーカーとして様々な機体を開発し、軍に納入した。第1次大戦時は追撃機(今でいう戦闘機)が主体だったが、郵便や旅客を運ぶ民間航空輸送事業が発展し、それに向けた旅客機など大型機の開発も手がけるようになった。ボーイングはその技術を買われ、第2次大戦時に大型爆撃機の製造を行うようになり、最も有名な爆撃機B-29スーパーフォートレスを完成させたのである。

     アメリカと戦った日本人にとって、B-29には各人様々な思いがあるだろう。ただ、純粋に技術面だけを言えば、B-29は当時の航空技術の粋を集めて開発・製造された、頂点を極めた機種だったことは間違いない。

    2016年10月20日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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