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    経済

    米ボーイング100年史に刻まれた日本の「空」

    航空ジャーナリスト 青木謙知

    ライセンス生産で始まった「パートナーシップ」

    • 航空自衛隊のYS-11(2014年2月15日、浜松基地で)
      航空自衛隊のYS-11(2014年2月15日、浜松基地で)

     戦争が終わると、日本とアメリカは様々な分野で協力態勢を築き上げるようになり、航空機産業も例外ではなかった。その先陣を切った企業の一つが、ボーイングであった。

     ボーイングはよく「日本の航空機産業との長年にわたるパートナーシップ」という言い方をする。そのスタートとして挙げているのが、航空自衛隊最初の戦闘機F-86Fセイバーのライセンス生産である。新三菱重工業(現・三菱重工業)での作業開始が1955年であるから、日本の防衛産業との関わりは60年を超す歴史を刻んでいることになる。

     ただ、少し航空機に詳しい人は奇異に思うかも知れない。というのは、F-86Fはボーイングではなく、ノースアメリカンによる開発・製造だったからだ。実は、ノースアメリカンは67年にロックウェルと合併してロックウェル・インターナショナルとなり、そのロックウェル・インターナショナルは96年にボーイングに吸収された。こうした歴史から、ボーイングはそのライセンス生産の開始を日本の航空機産業とのパートナーシップのスタートと位置づけているのである。

     航空自衛隊の戦闘機で言えば、F-4EJファントムIIもF-15J/DJも、実はマクダネル・ダグラスの製品であり、日本の航空機産業企業とのライセンス生産契約もマクダネル・ダグラスと行われている。しかし、97年にボーイングとマクダネル・ダグラスの合併作業が完了し、この2機種ともボーイングの航空機となったのである。

     ところで、ボーイングは70~80年代を通じて、航空機メーカーとしてはユニークな存在であった。冷戦当時、ほとんどの航空機メーカーは政府相手の軍用機ビジネスの方が、景気に左右される民間機ビジネスよりも手堅いと見ていて、事業の軍民比率は7対3、あるいはそれ以上の差で政府関連を主にしていた。これに対し、当時のボーイングは70%以上が民間ビジネスで、これにより世界一の旅客機メーカーの座を獲得したのである。

    ライバル機「A320」の登場

     日本の航空機製造の歴史において、ボーイングの存在は際立っている。くしくも、それは日本の航空機産業の未熟さが招来したものであった。

     日本の戦後初の国産旅客機YS-11は、設計から実用に至るまで完全に失敗事業であったと言えるが、日本の航空機産業や監督官庁はYS-11に続く次期輸送機(YS-X)の製造を諦めなかった。しかし、あらゆる面で日本が単独で事業を推進することが不可能なことは、火を見るより明らかであった。

     そこで日本が採った方策が、ボーイングが計画していた200席級旅客機7X7の共同開発事業に参画するというものだった。ボーイングでの研究・開発作業はすでに進んでいたため、日本はスタートから参加できなかったが、約15%の作業比率で機体の一部の製造を請け負うことができた。

    • ボーイング767(ボーイング・ジャパン提供)
      ボーイング767(ボーイング・ジャパン提供)

     こうしてYS-Xは767事業への参加という形になり、さらにYS-Xから続く旅客機YX-Xでのボーイングとの共同事業の道を開くこととなった。このYX-Xは、150席クラスの小型旅客機をボーイングと一から共同で開発しようというもので、ボーイングでも日本(Japan)の「J」を取って7J7と呼んでいた。そして、ヨーロッパで台頭してきたエアバスが、最新技術をふんだんに用いて計画したA320に対抗するものと位置付けられたのである。

    2016年10月20日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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