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    生活

    「散骨」という人生最後の選択肢と日本人の死生観

    「終活読本 ソナエ」編集部 半田泰

    「どこに手を合わせれば…」

    • 「葬送の自由をすすめる会」が相模灘の海上で散骨を行ったことを伝える読売新聞記事(1991年10月16日付朝刊)
      「葬送の自由をすすめる会」が相模灘の海上で散骨を行ったことを伝える読売新聞記事(1991年10月16日付朝刊)

     散骨が実際にどのくらい行われているかを調べたデータはありません。横浜市が13年に公表した調査では、散骨についてどう考えるかという問いに対し、22.6%の人が「したい(されたい)」と回答していますので、関心が高いのは間違いありません。

     そんな中、実際に両親の遺骨を散骨した人のお話をうかがう機会がありました。その方は海洋散骨をしたのですが、「海を見るたびに両親のことを思い出し、勇気づけられます」「私が死んだら海に散骨してほしいと思っています」とのことでした。

     1991年に国内での散骨に先鞭(せんべん)を付けた「葬送の自由をすすめる会」(東京・千代田区)の方も「散骨はみなさんがそれぞれに亡くなった方のことを考えながら行っています。その雰囲気は荘厳なものです」と話しています。

     一方、散骨をしたことを後悔している人もいます。

     「父の遺骨をすべて海にまいてしまったのですが、お骨やお墓がないとしっくりきません。どこに向かって手を合わせたらいいのか分からなくなってしまいました。父の魂はどこにいるのでしょうか……」

     こうした思いをしている散骨経験者は多いようで、「遺骨の一部は手元に残しておいたほうがよい」とアドバイスする散骨業者も珍しくありません。最近では、残しておいた遺骨を自宅に安置する「手元供養」のためのグッズも充実しています。

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    2016年11月16日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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