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    国際

    したたかな革命家、カストロが残した足跡

    中部大学教授 田中高
     キューバ時間の11月25日午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)、一人の革命指導者が死んだ。フィデル・カストロ・ルス前国家評議会議長(以下フィデル)。90歳だった。1959年に親米バチスタ政権を打倒、約半世紀にわたって米国と 対峙 ( たいじ ) してきた男である。フィデルは中南米で圧政に苦しむ多くの人に希望を与えた一方で、反対派からは「独裁者」と呼ばれ、激しい憎悪を向けられた。光と影を一身に背負ったフィデルは何を残したのか。フィデルの自伝の翻訳(共訳)を手がけた中部大学国際関係学部の田中高教授に寄稿してもらった。

    故郷を離れたキューバ人も涙

    • 11月29日、キューバの首都ハバナの革命広場で開かれたフィデルの追悼集会に参加した人たち(AP)
      11月29日、キューバの首都ハバナの革命広場で開かれたフィデルの追悼集会に参加した人たち(AP)

     「フィデル永眠」の報を受けた時、筆者はたまたま知人であるキューバ人2人と日本人のキューバ研究者、合わせて4人で会食していた。キューバ人にとっては、フィデルが火葬の後、埋葬されることが意外だったようだ。毛沢東やレーニンの例にならい、霊廟(れいびょう)に安置されるのではないかと想像していたらしい。

     キューバ人のうちの1人(女性)は、10年前にキューバを離れた。今はスペインに住んでいて、たまたま日本に来ていた時にこのニュースに接した。彼女は首都ハバナでの生活が苦しくて出国したのだが、我々と会う少し前に「フィデルが死んだ」と聞いた時には落涙したという。

     フィデルは2006年7月、腸内出血で緊急手術を受け、実弟のラウルに権限を暫定的に移譲。08年に元首である国家評議会議長の職を正式にラウルに譲った。11年の第6回共産党大会で第1書記も退任、政界を引退していたのだが、故郷を離れた彼女にとっても、やはりフィデルは特別な存在だったのだ。

     今から約30年前、私はフィデルが革命記念日(7月26日)にハバナで行った演説を聞いた。炎天下で5時間近く、フィデルは大きな身振りを交えながら話し続けた。声はよく通り、話もうまかった。数万人の聴衆は汗だくになりながらも演説に聞き入り、熱気にあふれていたことを思い出す。

     灼熱(しゃくねつ)の太陽のもと、あれだけの数の聴衆に向かって、語り掛けるように話す姿は、超人のように思えた。会場には若者の姿も多く、「社会主義は一歩も後退することはない」というフィデルの言葉に、大きな拍手が沸き起こった。

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    2016年12月06日 12時19分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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