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    「稀」な「勢」いではなかった大器晩成力士の快挙

    相撲リポーター 横野レイコ

    天性の才能と不器用さ

    • ようやく賜杯を手にした千秋楽から一夜明けた稀勢の里関と(2017年1月23日撮影。横野レイコさん提供)
      ようやく賜杯を手にした千秋楽から一夜明けた稀勢の里関と(2017年1月23日撮影。横野レイコさん提供)

     私と稀勢の里との出会いは、当時まだ本名の「萩原」で土俵に上がっていた時代の十両昇進記者会見までさかのぼる。平成16年(2004年)3月場所後のことで、17歳9か月での十両昇進は、貴乃花に次ぐ年少記録だった。

     師匠は“おしん横綱”として人気だった元横綱隆の里の13代目鳴戸親方。当時まだ中学生だった萩原少年に初めて会った鳴戸親方は、「天狗のように大きな」(鳴戸親方の弁)手と足にほれ込み、両親と校長先生を2時間かけてくどき落とし、入門に導いた。

     とにかく鳴戸親方は、稀勢の里の才能にほれ込んでいた。「彼を横綱に育てられなければ親方失格。親方人生を懸ける」とまで言っていたほどだ。

     「どうせ入門するなら一番厳しい部屋に入りたい」という稀勢の里本人の希望もあった。厳しい鳴戸部屋の猛稽古にも、弱音をはくことはなかった。

     稀勢の里の取材に行くと、鳴戸親方はご機嫌になり、稽古に一段と気合が入る。「取材が入ると稽古が長くなる」と力士から苦情を言われる一方、部屋の関係者からは「親方の機嫌がよくなるので、どんどん取材に来てほしい」と言われたりもした。

     十両わずか3場所で、同年11月場所で新入幕。18歳3か月での入幕も貴乃花に次ぐ年少記録。19歳2か月での初の三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録――といったように、新入幕時から名乗る四股(しこ)名「稀勢の里」の由来通り、「(まれ)な勢いで」番付を駆け上がっていった。

    • 大関昇進披露宴で乾杯する稀勢の里関(2012年2月撮影)
      大関昇進披露宴で乾杯する稀勢の里関(2012年2月撮影)

     このまますんなりと大関に昇進し、北の湖や貴乃花のように、一気に20代前半で綱を()り、大横綱になるのではと、周囲に期待を抱かせたが、実際に大関に昇進したのは、鳴戸親方が急逝した平成24年(2012年)11月場所で、初の三役昇進から5年余り、32場所後だった。時に、25歳5か月だった。そして、今回の初優勝は、大関在位31場所と歴代最も遅い記録で、30歳と6か月での横綱昇進は昭和33年(1958年)に現行の年6場所制になって以降、4番目の高齢昇進となる。

     なぜ、三役まで破竹の勢いで番付を駆け上がった稀勢の里が、大関を経てこれまで10年もかかったのか。それはひとえに、稀勢の里の不器用さによる。

     不器用ゆえに、実直なまでに日々の鍛錬を重要視する。彼がよく口にする「一日一番」こそが、彼の最大の強みである。もちろん一日も早く昇進したい気持ちもあっただろうが、とにかく地道に地力をつける。そうすると昇進もおのずと付いてくると思っていた節がみてとれる。本人の口から、「うちの家系は大器晩成型なんですよ」という言葉を聞いたこともある。

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    2017年01月23日 14時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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