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    スポーツ

    浅田真央・記憶に残る「あきらめない心」

    フリーライター 長谷川仁美
     フィギュアスケート女子の浅田真央選手が現役引退を表明した。フィギュアの取材を続けているフリーライターの長谷川仁美さんに、浅田選手の人物像を聞いた。

    「天真爛漫」「純真無垢」

     私が初めて浅田選手を見たのは、2002年夏、長野県の野辺山高原で行われた全日本の強化合宿の後だった。フィギュアスケート関係者の間では既に「浅田真央」の名は知られていたが、私が彼女の滑りを生で見るのは初めてだった。しかし、エキシビションでリンク上を舞う一人の少女を見た時、すぐに「この子が浅田真央だな」と分かった。それほど、彼女には「華」があった。

     浅田選手は、04~05年のシーズンに国内外のジュニアのタイトルを総なめにし、一躍世間の注目を集めるようになった。彼女の滑りは、華やかさはもちろんのこと、「天真爛漫(らんまん)」「純真無垢(むく)」といった言葉がピッタリだった。同時に、スケートに対する真っすぐな思いも伝わってきた。他の選手とは明らかに違う雰囲気を持っていた。

     実際に浅田選手を取材すると、「とても芯の強い選手だな」という印象を受けた。試合で負けた時も、決して言い訳せず、けがをしていても、自分からそれを口にすることはなかった。

     彼女の競技人生を振り返ると、数々の輝かしい成績を残した一方、必ずしも順風満帆とは言えない面もあった。10年のバンクーバー五輪では、日本中が彼女の金メダルを期待したものの、結果は銀メダルだった。06年のトリノ五輪は年齢制限で出場できなかった。「出場していたら、金メダルを取れていた」とも言われている。

     だが、浅田選手は、バンクーバー、その4年後のソチ五輪で、深みを増した演技を見せてくれた。バンクーバーでは、難易度が高く、女子で挑戦する選手はほとんどいないトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)をショートプログラム(SP)で1度、フリーで2度成功させた。トリプルアクセルを計3度も決めた女性選手は、後にも先にも浅田選手だけだ。ソチ五輪では、SPで16位と出遅れたものの、フリーで自己ベストの得点を記録して、6位入賞を果たした。あきらめずに挑戦し続けた浅田選手の姿は、国内外の人々に勇気と感動を与え、彼らの記憶に刻まれた。彼女は、五輪では金メダルを取れなかったが、決して「不運な選手」ではない。

     浅田選手の汚れのない笑顔は、暗いニュースが絶えない日本に、明るさをもたらしてくれた。しかし、浅田選手が多くの人々に愛されたのは、卓越した演技と愛くるしいルックスのためだけではない。苦難に耐え、言い訳もせずに地道に鍛錬を積み重ねる。そんな彼女の真っすぐな姿が、日本人の感性に訴えたのではないだろうか。

     荒川静香さんが06年のトリノ五輪で金メダルを獲得し、同じシーズンに浅田選手が脚光を浴び始めたことをきっかけに、フィギュアスケートは日本でも人気スポーツの一つとなった。今やフィギュア界は、男子も女子も人材は豊富だ。先日の世界選手権に出場した女子フィギュアのホープ・三原舞依選手は、SPが15位に終わった後、フリーでの挽回に向け、ソチ五輪での浅田選手のフリーの映像を何度も見返したという。次代を担う選手にも、浅田選手の「あきらめない心」は受け継がれている。

     浅田選手には、現役を退いた後も、プロスケーターとして華やかな姿を見せ続けてほしい。もちろん、あれだけ真摯(しんし)にフィギュアに取り組み続けてきた彼女のことだから、スケート以外のことでもきっと大成できると思う。(聞き手 メディア局編集部 田中昌義)

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    プロフィル
    長谷川 仁美(はせがわ・ひとみ)
     静岡市生まれ。大学卒業後、NHKのディレクター、編集プロダクションのコピーライターを経て、フリーランスのライターに。フィギュアスケート観戦は1992年のアルベールビル五輪から。2002年から、日本選手、海外選手、プロスケーター、コーチらを取材し、執筆をしている。

    2017年04月12日 11時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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