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    政治

    [憲法70年・下] 「根幹」の人権 進まぬ議論

    読売新聞調査研究本部主任研究員 舟槻格致
     憲法というと、平和主義を定めた第9条を思い浮かべる人が多いだろうが、他にも重要な条項はたくさんある。70年前に施行された日本国憲法には、人権規定が当時として手厚く盛り込まれた。なぜ憲法改正が活発化しないのか、憲法の本質部分である人権の観点から考えてみる。

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    憲法で一番大事な章は?

     憲法は、全11章からなる。最後の第11章「補則」を除く10章は、以下の通りだ。

     第1章「天皇」、第2章「戦争の放棄」、第3章「国民の権利及び義務」、第4章「国会」、第5章「内閣」、第6章「司法」、第7章「財政」、第8章「地方自治」、第9章「改正」、第10章「最高法規」

     どの部分も大事だが、あえて最も重要で根幹となる章を一つだけ選ぶとすれば、どれだろう。平和主義をうたった第2章という人もいれば、新生日本の「象徴」に天皇を位置づけた第1章という人もいるかもしれない。国権の最高機関について定めた第4章と考える人がいても、不思議はない。

     だが、もし憲法学者だけを集めてアンケートを採れば、人権について定めた第3章を選ぶ人が多いと思われる。平和も国会も、かけがえのない一人ひとりの人間を守るためのもので、すべては人権に帰着するという考え方に立つからだ。第3章の中には、「法の下の平等」(第14条)や「表現の自由」(第21条)、「財産権」(第29条)、「納税の義務」(第30条)といった条文が存在する。

     憲法全体は、内容の上から「人権規定」と「統治機構規定」の二つに分類されている。「国民の権利及び義務」は人権規定、「国会」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」は統治機構規定だ。「天皇」と「戦争放棄」は、憲法の教科書などではどちらにも入れていないものが多いが、天皇の国事行為や自衛隊は統治機構に関わるものと言ってよい。

     大学によっては、法学部の講座で人権を「憲法第1部」、統治機構を「憲法第2部」と名づけて順に講義を実施し、人権は4単位、統治機構は2単位などと比重に差をつけているところもある。「主役」の人権と比べ、統治機構は「脇役」に甘んじてきたようだ。

     憲法の中で人権規定がきわめて重要であることは、戦後の著名な裁判や重要な学説が人権規定をめぐって積み重ねられていったことでも分かる。

    • 「尊属殺重罪規定は違憲」と歴史的な判決を下した最高裁大法廷(1973年4月4日撮影)
      「尊属殺重罪規定は違憲」と歴史的な判決を下した最高裁大法廷(1973年4月4日撮影)

     裁判では一例として、父母や祖父母といった「直系尊属」を殺した場合、それ以外の人を殺した場合よりも重い刑罰(死刑または無期懲役。有期刑は無し)を科すとしていた明治以来の刑法が、憲法14条の「法の下の平等」に反し、違憲だとした「尊属殺重罰規定違憲最高裁判決」(1973年)が挙げられる。尊属殺規定の背景には、戦前の家制度や儒教的な道徳があった。その後、尊属殺を特別扱いする規定は刑法から削除されており、今は親を殺した場合でも他人を殺した場合でも、同じ殺人罪にしかならない。戦後日本の基本的人権保護の仕組みが形作られていく上で、判決が重要な役割を果たした事件の一つといえる。

     学説でも、人権規定をめぐっては活発な論議が積み重ねられてきた。例えば、人権を制限する理由として、憲法が第13条などで「公共の福祉に反しない限り」と定めていることの意義をめぐる議論が好例だ。「公共の福祉」というと、一読すると、道路にゴミをポイ捨てしないといった「公衆道徳」が想起されるかもしれない。だが、きわめて曖昧な表現だけに、戦後早い時期には、「これを理由に人権は幅広く制限できる」という、行政には好都合だが、ちょっと乱暴な考えが一般的だった。

    • 「人権と人権を調整する原理が『公共の福祉』」と唱えた宮沢俊義氏
      「人権と人権を調整する原理が『公共の福祉』」と唱えた宮沢俊義氏

     そんな中、1950年代に、憲法学者の宮沢俊義(としよし)氏が、公共の福祉とは、「人権相互のあいだの矛盾・衝突を調整する原理」(有斐閣法律学全集4『憲法II』235頁)である、という画期的な考え方を提唱した。

     簡単に言うと、「ある人の人権を制限できるのは、他の人の人権とぶつかり合った時だけだ」ということだ。憲法は、そういう場合に人権と人権の間を調整することを「公共の福祉」と表現したと解釈したわけである。これにより、「公共の福祉を根拠に、曖昧な理由で人権を制限できる」という考えを採ることは事実上、できなくなった。その後も、宮沢氏の弟子の憲法学者たちが、どのような場合に人権が制約されうるのかについて、緻密な議論を積み重ねてきた。学界の努力で、戦後日本の人権水準が飛躍的に高まったことは評価すべきだろう。

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    2017年05月01日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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