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    文化

    熊本城、加藤清正が強く高い石垣で守りたかったもの

    読売新聞編集委員、BS日テレ「深層NEWS」キャスター 丸山淳一
     熊本地震から2年。深く傷つきながらも堂々とそびえる熊本城は、復興を目指す熊本県民の心のより所だ。築城した戦国武将・加藤清正の人気もあって、「清正時代の石垣は崩れなかった」などの説も広がる。風聞を排して検証を進めると、歴史の闇に埋もれた人々の姿と、清正の秘めた思いが浮かび上がってきた。

    「清正公の石垣は崩れず」の真偽は?

    • 地震で崩落した熊本城の石垣(続櫓付近)
      地震で崩落した熊本城の石垣(続櫓付近)

     2度にわたって最大震度7が熊本を襲った地震から2年がたつ。発生時、熊本県民テレビの報道局に赴任していた私は、いまだに2度の強烈な揺れをはっきり覚えている。16日放送の「深層NEWS」では、熊本の復旧・復興を取り上げた。

     日本三名城のひとつ、熊本城もこの地震で大きな被害を受けた。城の周辺は4月14日のマグニチュード(M)6.5の最初の地震(前震)で震度5強、16日の2度目の地震(本震、M7.3)で震度6強の揺れに見舞われたとみられる。天守閣は傷つき、(やぐら)や塀が損壊した。何より甚大だったのは石垣の被害だ。

     特別史跡部分だけで51万平方メートル超という広大な熊本城の城域には、973面、面積に直すと約7万9000平方メートルの石垣があり、熊本地震でこのうち517面、計2万3600平方メートルの石垣に崩落や(はら)み、緩みなどの被害があった。崩れ落ちた石垣は計8200平方メートル。1平方メートルに約3.5個の築石が使われているから、約2万9000個もの築石が崩落した計算になる。

     一方で、加藤清正(1562~1611)の築城時からあるとみられる石垣のなかには無傷のものもあった。尊敬と親しみを込めて清正を「清正公(せいしょこ)さん」と呼ぶ地元では「さすが築城の名手。清正の石垣は地震でも崩れなかった」と言われたが、結論から言えばこれは半分正しく、半分は正しくない。

    2018年04月17日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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