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    文化

    「柔道の父」と宮本武蔵、「二刀流」が結ぶ数奇な縁

    読売新聞編集委員、BS日テレ「深層ニュース」キャスター 丸山淳一
     この春、アメリカ大リーグを席巻する大谷翔平選手の「二刀流」。もともとは、江戸初期の剣豪・宮本武蔵が広めた剣術の名だ。武芸者として命がけの勝負を繰り返した武蔵は、アスリート精神にも通じる心構えを残していた。その土壌の上に日本のスポーツ発展の礎を築いたのが、「柔道の父」と呼ばれる講道館の創始者、 嘉納 ( かのう ) 治五郎 ( じごろう ) だ。

    柔道総本山に日本刀、その理由は?

     柔道の全日本選手権を翌日に控えた4月28日、講道館を創設した「柔道の父」として知られる嘉納治五郎(1860~1938)の「没後80年式典・(しの)ぶ会」が都内のホテルで行われ、講道館に刀、脇差、短刀の計6振りが寄贈された。

     柔道の父を偲ぶ会で、なぜ刀が寄贈されるのか。その理由を調べていくと、柔道の意外な歴史と、嘉納の講道館柔道の普及を支えた多くの人との不思議な(えにし)が見えてくる。

     柔道の源流は戦国時代に生まれた「柔術」。戦場で武器を失った武士が、(よろい)を着て刀を持った相手と戦うための戦闘・護身術だった。

     戦国時代後期、騎馬武者だけでなく大勢の足軽が参加する白兵戦が合戦の主流となると、騎馬、(やり)、鉄砲などの役割分担が進み、持ち場に応じた戦い方を訓練する必要が出てきた。武術は剣術、槍術(そうじゅつ)、弓術などに分かれ、流派をつくって競い合うようになる。柔術もその専門術のひとつだった。

     だが、お互いに素手で戦う相撲とは異なり、相手の刀の切っ先をかわして素手で立ち向かう柔術は、剣術の心得がなければ教えることも、練習することもできない。必然的に柔術と剣術は表裏一体で発展した。

     嘉納が創設した講道館柔道では、今でも相手の刀をかわす「演武」が行われており、今回寄贈されたうち3振りはそのための刀だ。だが、嘉納にはさらに「二刀流」との縁がある。

    「坊ちゃん」だった「柔道の父」

    • 嘉納治五郎
      嘉納治五郎

     「柔道の父」というと道場破りを重ねた猛者や、姿三四郎のような天才を想像しがちだが、嘉納はそんなイメージとはほど遠い「坊ちゃん」だった。

     兵庫の酒造・廻船(かいせん)業の豪商の子息で、幼いときから英才教育を受けた。東京帝大卒業後は学習院や東京高等師範学校(現在の筑波大学)で教鞭(きょうべん)をとり、文部省参事官も務めている。

     体が小さく、少年時代にいじめられて「強くなりたい」と17歳で天神真楊流に入門した嘉納は、「柔よく剛を制す」柔術の魅力を知る。学習院の講師となった1882年(明治15年)に東京・下谷の永昌寺に12畳敷きの道場「講道館」を開く。嘉納は柔術は心身の鍛練に役立つと考え、この道場で伝統戦闘「術」を「体育、勝負、修心」を形成する「道」へと作りかえていった。

     しかし、国は当時、鹿鳴館を拠点に極端な欧化政策を推進し、古武術が起源の柔道の普及には逆風が吹いていた。草創期の講道館柔道を支えたのは、嘉納が教育者として赴任した熊本だった。

    2018年05月02日 16時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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