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    文化

    元祖・働き方改革、天智天皇が使った切り札は?

    読売新聞編集委員、BS日テレ「深層NEWS」キャスター 丸山淳一
     世界でも ( まれ ) なほど時間に正確なサービスを誇る一方で、そのために、働く人たちの時間を湯水のように使う。日本人が長年、当然のことと受け止めてきた「仕事と時間」の関係が、見直しの時を迎えている。そもそも、勤勉を美徳とする日本人像はいつごろ出来上がったのか。戦後成長の合言葉「働かざる者、食うべからず」の真意とは――。

    事務効率化へ、天智天皇が導入したモノ

    • 働き方改革関連法案を可決した衆院本会議(5月31日)
      働き方改革関連法案を可決した衆院本会議(5月31日)

     働き方改革関連法案の国会審議がヤマ場を迎えつつある。労働基準法など8本の法案を改正し、残業に年720時間という上限を設ける一方で、一部の専門職を労働時間規制から外す「脱時間給制度」を導入するという。

     私がキャスターを務める「深層NEWS」でもこの法案や外国人労働者の受け入れの是非を議論した。今のままでは人口減や高齢化に対応できなくなることは分かっていても、労働時間や報酬に直結するだけに、改革を進めるのは容易ではない。

     史実で確認できる最初の働き方改革は、天智天皇(中大兄皇子、626~672)による朝廷の「官僚制導入」ではないか。645年(大化元年)に乙巳(いつし)の変で蘇我氏を倒し、「改新の(みことのり)」を出した天皇は、中央集権体制を築こうとしていた。それには豪族たちを統治組織に組み込むとともに、天皇の方針に沿って働く「役人」が必要だった。

     役人を効率的に働かせるには、まず働く「時間」を決め、知らせなければならない。近江大津宮(おうみおおつのみや)に都を移した天智天皇は、大津宮に水時計(漏刻(ろうこく))を設置した。『日本書記』によると、671年6月10日(当時の暦では4月25日)から、役人に宮中行事や出退勤の時刻を鐘や太鼓で知らせる「時報」が始まった。

     太陽の動きで時刻を決めるのと違って、水時計を使えば昼も夜も「一刻(いっとき)」の長さが同じ「定時法」で役人の勤務時間や作業効率を公平に計測できる。国立歴史民俗博物館研究部の仁藤敦史教授は『さかのぼり日本史 “都”がつくる古代国家』(NHK出版)の中で、天智天皇は官僚による効率的な行政を進め、水時計も事務を効率化する手段のひとつだったとみている。

    • 住宅街の中に点在する近江大津宮跡(錦織遺跡)。当時の内裏西側にあたるとみられる
      住宅街の中に点在する近江大津宮跡(錦織遺跡)。当時の内裏西側にあたるとみられる
    • 江戸時代の書物に掲載された漏刻の図(近江神宮=滋賀県大津市=提供)
      江戸時代の書物に掲載された漏刻の図(近江神宮=滋賀県大津市=提供)

    百人一首の冒頭にイナカの労働歌

    • 映画「ちはやふる」のポスター(c)2018映画「ちはやふる」製作委員会(c)末次由紀/講談社
      映画「ちはやふる」のポスター(c)2018映画「ちはやふる」製作委員会(c)末次由紀/講談社

     天智天皇は、農村の働き方にも気を配っていた。

     「秋の田のかりほの(いほ)(とま)をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」

     有名な『小倉百人一首』の第一首は、天智天皇の歌とされる。稲の収穫作業のための粗末な仮小屋に入って夜露をしのぐ、という田舎くさい農村の労働歌が、平安王朝文化の集大成ともいえる百人一首の冒頭にあるのは、選者の藤原定家(1162~1241)が平安朝繁栄の基礎を築いた天智天皇を高く評価していたからだとみられている。

     実は『万葉集』にこの歌によく似た詠み人知らずの歌があり、天智天皇がこの歌を詠んだという証拠はない。日本初の全国的な戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を作成し、「諸国ノ百姓ヲ定メ民ノカマドヲシルス」(『愚管抄』)功績がこの歌と天智天皇を結びつけたという説が有力だ。農業では「戸籍」を働き方改革の基本にしたわけだ。

     天皇の功績は、近江大津宮跡に建つ近江神宮(滋賀県大津市)で毎年6月10日に行われる「漏刻祭」と、1月に開かれる「競技かるた名人位・クイーン位決定戦」という形で今に伝わっている。天智天皇をまつる同神宮は、広瀬すずさん主演の映画『ちはやふる』にも登場した。

    2018年06月09日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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