アルバロ・パラシオス(4)Alvaro Palacios
崇高な土地と造り手の魂を宿すレルミタ
造り手でのテイスティングは緊張感を伴うものだ。ワインは造り手の情熱を注ぎ込んだ飲み物であり、大げさにいえば人生の表現でもある。作家を前に小説を読むような、音楽家を前にCDを聴くようなものだ。しかも、相手はこちらの反応や感想を待っている。心にもないほめ言葉は通用しない。
アルバロ・パラシオスのカーヴではちょっと違った。気さくなアルバロは他人に緊張感を与えない。真っ白で超クリーンなテイスティング・ルームで、「レス・テラセス」「グラタジョプス」「フィンカ・ドフィ」と、少しづつ上級のキュヴェに向かう。
新たに手がけた「グラタジョプス」の2007年は9000本の生産。カリニャンとグルナッシュが各35%、カベルネ・ソーヴィニヨンが30%。テラセスより洗練された中に奥行きが感じられた。「07年は最も難しかったが、結果的には最高のヴィンテージ」とアルバロ。07年のフィンカ・ドフィはそれ自体が立派な格付けに相当し、セカンドワインと呼ぶには当たらない。すごみのあるクール・ビューティだ。
しかし。「レルミタ」の前ではただの前奏曲にすぎなかった。
「ジャ、ジャ、ジャーン」
アルバロがファンファーレを口ずさみながら、デカンタージュしたワインをグラスに注ぐ。生産量3000本。ロマネ・コンティの半分。だれにとっても、簡単に口にできる液体ではない。気持ちはこちらも同じだが、こんなに感情を表に出す造り手も珍しい。
16か月間、樽で熟成させ、2週間前にオリ引きした06年と、マロラクティック発酵中の07年。07年は純粋なブドウの香りがした。テイスティングのコメントを並べるのが空しくなるクリーンな透明感。暑さを感じさせない。ボルドーのプリムール・テイスティングと同じ赤子のような段階だが、いいワインはすぐにわかる。ダビンチの手になる彫像を想起させる美しい球体感がある。
06年は瓶詰め間近で、ワインとしてほぼ完成形。上質のオリーヴオイルを飲んだ感覚と似ている。果実の重みはしっかりとあるが、タンニンは存在しないかのようになめらかで、噛めるようだ。砕けた石のミネラル感。14・5%のアルコール度と濃縮感を感じさせない超絶のバランス。ボルドーで言えばフィネスとエレガンスを凝縮したラフィット・ロートシルトか。飲んだ瞬間に、世界的なクラスを感じさせる威厳を放っている。これはもう別物だ。
アルバロは口の中で液体を転がしながら、ガッツポーズを決めている。気持ちはよくわかった。私もメモするより、両手を突き上げたい気分になったから。
世界的なクラスを感じさせるガルナッチャ
東京で試飲した04年とは異なるニュアンスを感じた。基本的な構造は同じだが、継ぎ目のないスムーズさと一体感がある。その感想を述べると、アルバロがわが意を得たりとばかりに話し始めた。
「04年は少量のカベルネ・ソーヴィニヨンをブレンドしていたが、06年からはガルナッチャ100%になった」
なぜ、ガルナッチャ単一品種に切り替えたのか?
「美しい野生馬を調教して、ようやく人間と一体になったんだ。これまでは単独では使えなかった。ガルナッチャはレルミタの畑を最も良く表現できるブドウだ。そして、レルミタはスペインの復興の象徴でもある」
ガルナッチャはフランス・ローヌ地方のグルナッシュとどこが違うのか?
「ローヌでは、ラヤスなどを例外として、グルナッシュは基本的に補助品種だろう。ここでは、単独でテロワールを表現できる。ただし、気まぐれな性格を持っている(笑)」
ガルナッチャやグルナッシュに粗野なイメージを持つ人は、レルミタを飲めば考えが変わるだろう。生産量と10万円近い価格を考えると、実際にはなかなか機会がないが……ここまで純真なワインを口にできるのは1年に1度あるかどうか。それまでのワイン観に変更を迫られる存在である。
崇高なワインの個性を感じ取ったのは、急峻な畑を歩いて、テロワールの風を受けたせいもあるのだろう。産地に来なければ、知覚出来ない風土や精神性は存在する。改めて思い知った。それは、ロマネ・コンティの畑を歩いた後に、ドメーヌでロマネ・コンティを試飲するのにも似た、神聖なる体験だった。
「でも、レルミタのワインは私が造っているのではない。土地がくれたものなんだ。ブルゴーニュのラルー・ビーズ・ルロワは天才だが、やはり、畑から力をもらっている。造り手は、偉大な自然を前にどうにかできると考えない方がいい」」
話は尽きなかったが、アルバロは夕方にはリオハに戻らなければならなかった。8時に約束があるのだという。これから400キロのドライブとは、つくづくタフな男だ。
別れ際、思わずアルバロを抱きしめた。熱き魂をつかみとり、神聖な経験をくれたことに対して、感謝を示さずにはいられなかったのだ。
2008年2月訪問
テキスト&フォト 山本 昭彦
(2008年8月15日 読売新聞)