佐藤陽一氏
全日本最優秀ソムリエコンクール優勝者
挑戦者の意地と高みを目指す志
43歳のこの人がソムリエ日本一になったと知ったとき、キンシャサの奇跡を思い浮かべた。1974年にモハメド・アリがジョージ・フォアマンをKOして返り咲いた一戦。テクニックと頭脳で6歳下の王者を倒したアリと重なるものがあったのだ。全日本コンクール参加者でほぼ最年長ながら、現場で磨いた知識と技術、何よりも強い意志の力で世界コンクールへの切符をつかみとった。
95年の世界コンクールで頂点に立った田崎真也氏の門下生の中で、石田博氏(ベージュ東京ダイニングマネージャー)と佐藤氏は、早くから抜きんでた才能と言われた。論理的なテイスティング、体験に裏打ちされたサービス哲学‥‥。しかし、98年の日本代表を選ぶ全日本最優秀ソムリエコンクールで石田氏は優勝し、佐藤氏は3位に終わった。その後、東京・六本木にワインレストラン「マクシヴァン」を開いた佐藤氏。ワインや食にかかわる執筆でも活躍し、自分の城を築いているように見えた。だが、心の中では不完全燃焼のおき火がくすぶっていた。
「98年大会のテイスティングで、ブドウ品種を言わなかったことが心に引っかかっていました。2002年の大会は見送りましたが、このままでは終われない、という気持ちはありました。ワインの造り手も毎年が勝負じゃないですか。去年は悪かったけど、今年は良かったとか。自分もそういう挑戦する場に身を置いて、彼らにがんばっているところを見せたかったのもあります。現役で戦い続けるという意地ですね」
崖っぷちの場、現役で戦い続ける闘魂
それにしても、日本一への挑戦はたやすくなかった。有名ホテルやレストランから優れた若手が育ち、現在の国内コンクールは30歳前後が中心だ。自分の店の経営もあるし、ワインスクールでの講義もある。年齢はギリギリ、優勝以外は意味がないという崖っぷちの戦い。外圧を緊張感に転化し、挑戦心と経験を研ぎ澄ませて武器にした。
「街場の店ということで、ホテルや大きな店に比べると、昼の時間が自由になるというメリットはありました。でも、昼は昼で仕事がありますから。様々な雑務をこなしながら、試飲会にも通い、街場の代表として、世界を狙うんだというプライドみたいなものはありました。お店でも勉強です。注文をとって、調理場に戻る間に、リアスバイシャスのサブゾーンや日本の交配品種を覚えたりと」
料理人志望で飲食業界に入ったが、田崎氏らの活躍にあこがれて、「表の仕事」を目指した。1987年にフランスに渡り、語学学校やパリソムリエ協会の講座に通いながら腕を磨いた。日本の研修生などほとんどいなかった時代。熱意が認められて、後に世界一となるフィリップ・フォール・ブラック氏の「ビストロ・デュ・ソムリエ」で働くことになった。
「ワインに夢中でした。28歳くらいです。半年間の研修でしたけど、営業の合間にはカーヴの整理をしたりと、楽しくて、一日中、お店にいました。初日から注文とりに行きましたから。『チーズに白ワインいかがですか?』と言うと、『チーズには赤だろう』と言われたりして……。フィリップの店だから、ワインがわかる東洋人と見られたのだと思います。いわれのない偏見もありましたけど、毎日が楽しかったのでいいかなと」
パリ時代には印象深いワインの思い出が二つある。
「郊外のお店で働いていたとき、ギャングみたいな人が美しい女性を連れて来たんです。ドンペリニョンのロゼをバケツの中で抜いたら、ジョワジョワとあふれ出して‥‥撃たれるかと凍りつきました。もう1つは、帰国する前、日本人の先輩に1966年のDRCロマネ・サンヴィヴァンをごちそうになったんです。素晴らしかったんですけど、部屋の机にボトル置いといたら、メイドのオバサンに捨てられてしまいまして(笑い)」
クールな表情で乾いたギャグをかます。彼の店を訪れると深い知識に刺激され、世界のワインで遊ぶさまに心が和む。古いスペインのワインを冷やし気味でブルゴーニュ・グラスで供したり、コルシカのワインをボルドー・グラスで出したり。ブラインド・テイスティングが楽しみで通う業界人も少なくない。
「オープンしてから5年間、意識的に世界のワインを使ってきました。仕入れが自分の自由になるので、フランスワイン主体のお店などよりは有利だったかもしれません。暑くなったらドイツワインを入れるとか。小さなお店であっても、個性を生かして続けることによって、フランスのようにお客様と良い関係が築けて、幸せが得られるというのが理想です。日本でもそれを目指したいですね」
ようやく世界への出発点に立った
コンクールで優勝した10月4日は、大会会場から最寄の品川駅前の居酒屋で出場者ら約20人と一緒に打ち上げをした。個人的には寿司屋に出かけたくらいで、本格的な祝杯は挙げていない。
「これでようやく世界への出発点にたてたんです。喜んでいる場合じゃないです。残された時間は1年とちょっと。徐々に内圧を高めていきます」
通過点の「日本一」はかけ足で駆け抜けた。現状に安住せず高みを目指す志は生来のもの。いつでも戦いに対応できるスピード感は日々の仕事で磨いている。心のひきがねはもう2007年3月にスペインで開かれる世界コンクールに絞られている。
テキスト&フォト 山本 昭彦
プロフィール
佐藤陽一氏
ソムリエ
1962年大阪府生まれ。1987年から3年間、フランスで修行。世界最優秀ソムリエのフィリップ・フォール・ブラック氏の「ビストロ・デュ・ソムリエ」で研修した。帰国後は「エノテーカ・ピンキオーリ」(東京・銀座)、「タイユバン・ロビュション」(東京・恵比寿)、「オストラル」(銀座)などを経て、2000年に「マクシヴァン」をオープンした。
(2005年11月2日 読売新聞)