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マルク・ディ・グラツィア氏
イタリアの一流ブローカー

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自慢のセレクションを前に
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モダン・バローロを代表するエリオ・アルターレの「バローロ・ブルナーテ 2000」
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初めて米国に輸入したイル・パラツィーノの「キャンティ・クラッシコ」
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カンパーニャ州「タウラージ」を代表するサルバトーレ・モレッティエリ
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比類なきテイスティング能力で優れたワインを発掘してきた

バローロを近代化したルネッサンスの担い手

 伝統と革新。ワインの造り手は、しばしば、2つの派に大別される。熟成の必要な渋みの強い赤ワインというイメージのあったイタリアのバローロを、柔らかくて早飲みできるワインに変えるのに手を貸したマルクは、バローロの革新者と見られてきた。しかし、事実はそんな単純な話ではない。

 「王の酒」と言われてきたバローロ。50、60年代の生産者がネッビオーロから醸す一握りのワインは、今も感動的だが、多くは渋くて、すっぱいだけだった。1980年代に登場したマルクは、エリオ・アルターレらバローロ・ボーイズを先導者してきた。造り手と一緒に知恵を出し、しなやかなタンニンと果実味を持つモダンなバローロを生み出し、改革を世界にアピールした。

 「あなたは、バローロの革新者と目されているが……?」

 たずねると、すかさず、「それは違う」と返ってきた。

 「伝統VS革新という神話は、友人の評論家バートン・アンダーソンが1980年に著した「ヴィノ」(ワイン)で、両者を対比したところから始まっている。大いなる誤解を引き起こした。ワイン造りで最もモノを言うのは畑の力だ。例えば、カンヌービの畑には、バルトロ・マスカレッロ、ピラ、リナルディらの優れた造り手がいるが、畑が偉大なら、セラーで多少の失敗をしても許されるんだ」

 マルクは4、5年前、仲間の10人の生産者たちと共に、89、90年のバローロ10アイテムをブラインドでテイスティングした。世間が言うところの伝統派も革新派も混じっていた。

伝統VS革新は神話 畑の力がすべて

 「10年もたつと、両者の区別は生産者たちにもわからなかった。良い畑かどうか、良くできたワインかどうかがわかっただけさ」

 バローロに革新があったとすれば、それはワイン造りのインフラについてだろう。マルクは収量の低減、回転発酵槽を用いた短期間の発酵、バリックによる熟成などを推進した。出来上がったワインは米国に輸出し、地域の経済性を高めた。

 「ピエモンテは伝統的に極めて貧しい土地だった。農家は生き延びるために、すぐに現金化できるドルチェットや野菜と一緒に、ネッビオーロを栽培してきた。50年代には、そうしたワインをネゴシアンや協同組合が買い上げてビン詰めしていた。優れたワインを生産していたのはごく少数だったんだ。私が仕事を始めた80年に、元詰めする生産者は20人以下だったが、今では250人を越す」

 フランスのブルゴーニュも、事情は違うが、ドメーヌの元詰めという流れをたどってきた。これは、偉大なワイン産地に共通する歴史の必然なのか、それとも、マルクの功績なのか。

 「それが私の功績であるのは間違いない。優れたワインを造って輸出する。それが、84年にロバート・パーカーに注目され、90年代にかけてバローロのブームが起きた。貧しい小規模な造り手たちが、元詰めをしたいと相談に来るようになった。革新という意味では、そこは確かに革新なのかもしれない」

 マルクがワイン業界に足を踏み入れたのは80年。カリフォルニア州バークレーにある小売店のバイヤーとして、イタリアの優れたワインを米国に紹介し始めた。

 「当時の米国には、貧しいイタリア移民による安いレストランしかなかった。食事も粗末で、客もキャンティしか知らなかった。5、6年間は別の仕事もしていて、苦労したよ。でも、ワインに大きな情熱を抱いていたから気にならなかった。イタリアには偉大なワインがあることを知らせたかったんだ」

 その後の活躍はよく知られたイタリアワイン・ルネッサンスの物語だ。エリオ・アルターレ、パオロ・スカヴィーノ、ルチアーノ・サンドローネらに代表されるバローロはもちろん、トスカーナ、シシリア、フリウリなど各地で優れた生産者を発掘している。「マルク・ディ・グラツィア・セレクションズ」の名がついた90を超すワインは、品質の保証書が付いているのに等しい。

「エノロゴ」は信頼していない

 現在のイタリアでは、ワイン醸造を助言する「エノロゴ」(醸造家)がはびこっている。フランスでミシェル・ロランがコンサルタントをすれば、パーカー・ポイントが上がるのと同じ状況が、イタリアにもある。畑仕事やワイン造りに積極的に関与するマルクだが、トスカーナを始めとする各地で活動するエノロゴは概して信頼していない。

 「ワイン造りで最も重要なのは畑、2番目が畑のマネジャー、最後がワインメーカーだ。良い畑さえあれば、ワインメーカーがいなくても偉大なワインは造れる。ただ、優れたエノロゴはもちろん存在する。例えば、ジュリオ・ガンベッリだ。モンテヴェルティーネやカーゼ・バッセを指導している。彼は80歳近いが、素晴らしい才能の持ち主なんだ」

 マルクの人生の師への畏敬の念は深い。

 あるとき、ジュリオにサンプルを持っていった。乾いたタンニンと青っぽいニュアンスが気になったのだ。ブラインドで利いたジュリオは言った。

 「アレッツオで採れるサンジョヴェーゼの特色だね。ビン詰めして6か月もすれば、消えるから心配要らない」

 「6か月後には、その言葉通りになった。まさに、ワインティスティングのマスターと言っていいだろうね。本当に信じられない……」

 マルクはブルゴーニュのドメーヌの影響を受け、テロワールに対する哲学を学んできた。バローロでクリュを重視する考えもそこから生まれている。バローロのワイン造りを向上させる上で、念頭にあったのは、若くても、熟成してもおいしいピノ・ノワールだったという。

 好きな造り手をきいたら、「あなたもブルゴーニュが好きか?」とたずねられた。「だとしたら、そういう質問は禁じ手だが、まあいいだろう」とつぶやきながら、挙げた最良の造り手はアルマン・ルソーだった。ユベール・リニエ、フレデリック・ムニエ、クロード・デュガの名前も出てきた。

 「ルロワはどうかって?素晴らしいワインだよ。問題は、満足できるほどの量がないことと、高すぎて買えないことだよ(笑い)」

テキスト&フォト 山本 昭彦

プロフィール

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マルク・ディ・グラツィア氏  Marc de Grazia
イタリアの一流ブローカー

 1952年、米国生まれ。ローマ、トスカーナで暮らし、カリフォルニア大バークレー校で学ぶ。80年にワイン・ブローカーを始め、マルク・ディ・グラツィア・セレクションズを設立。優良生産者を世界に広める一方で、現在はシシリーの自らのドメーヌに力を注ぐ。

2006年8月16日  読売新聞)
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