エリオ・アルターレ氏
バローロ・ボーイズの旗手
バローロの夢見る革命家
イタリアワイン界で革命家を選ぶなら、エリオは間違いなくその1人だろう。バローロの因習を打破し、栄光を取り戻した。だが、革命は流血や痛みを伴う。この男もまた父親との不和という苦しみを乗り越えねばならなかった。
17歳から父の仕事を手伝い始めた。1970年代半ば、バローロは危機的な状況だった。かつては「王のワイン」と称揚された赤ワインが高い値段で売れない。ペルケ(何故か)?少年は答えを探すために77年、ブルゴーニュへ旅立つ。彼の地の、ブドウ栽培農家が単一品種を栽培する構造はバローロと似ている。ワインがバローロの10〜20倍の価格で売れている秘密はどこにあるのか。
「3つの法則を見つけました。収量を抑えた偉大なブドウなくしてはいいワインが生まれない。次に、果皮のマセラシオン(醸し)を工夫すること。そして、醸造過程を清潔に保つこと」
バクテリアに汚染された大樽で、未熟なタンニンを抽出したワインは、長期熟成させてもおいしくなるはずがない。改革は畑から始まった。78年、地域で初めてグリーン・ハーヴェストを行った。父はひざまずいて、「止めてくれ」と懇願した。
「ブドウは神から授かるもので、それを切り詰めるのは神に逆らう行為という考えがありました。天罰が下ると思ったのです」
父とは半ば勘当の間柄に
畑で化学薬品の使用を止め、冬季の剪定も厳しくした。80年ごろ、父が枝を切るはしから、残した主枝を切っていった。父はハサミを彼の足元に投げつけて、吐き捨てた。「オレは60年間もこの仕事をしてきた。なぜ、お前に教えられなければいけないんだ」と。父には、大量のブドウを育てて家族を支えてきたという自負があった。それを息子に否定されるのは我慢ならなかったのだろう。
セラーでは、酸化を招く伝統の大樽から短期間で熟成させるバリックに切り替えた。83年。大樽を電気ノコギリで切りつけた。父は怒った。遺書を書き、遺産は2人の姉のみに譲るとしたためたほどだ。姉を説得して施設と畑を買い戻すのに97年までかかった。
「父とは対話の余地がありませんでした。『一家の主の自分に従え』というわけです。『お父さんの正しさを証明するために、私に間違いをさせてくれ』と言ってもだめでした。やり方を変えるなら、自分がいなくなってからにして欲しかったのです。でも、私は目の前のワイン造りを変えたかった」
革命とは巨大な宮殿を打ち壊すばだけではない。身近な肉親との相克を乗り越えることから始まるのだ。エリオがマルク・ディ・グラッツィアと二人三脚で進めたバローロの改革は地域に浸透した。短期間の発酵・マセラシオンとバリック熟成は、バランスが良く、早くから楽しめるバローロを生んだ。モダン・バローロとして世界の注目を集め、貧しかった産地に希望をもたらした。
その過程では、試行錯誤もあった。彼の醸造法は地域の伝統にも、アカデミックな世界にも反していたからだ。発酵期間を昔ながらの1〜2か月から15日、8日、4日と短縮していった。80年代後半、シャトー・マルゴーのポール・ポンタリエ支配人から「バリックの使い方が違う」と指摘されたこともある。その結果、バリックにワインを合わせるのではなく、ワインに合わせてバリックを使う熟成に開眼した。
「ワインは解釈なのです。ワインとは喜びの飲み物。父のワインは酸化して、タンニンが強かったから好まれなかった。私は、今飲んで楽しめ、いつ飲んでもおいしいワインを造りたいのです。20年後においしいワインではありません。ワインの造り方に決まりはない。魚の調理法と同じです。大切な基本原則さえ守れば、あとは甘口にしようが、濃い味にしようが自由です」
関係が修復できないまま、父は85年に亡くなった。息子にはつらい晩年だったが、目先の安寧で妥協しては、現在の成功は得られなかっただろう。穏やかな語り口の裏に、鋼の意志を秘めている。
「父が天国から見ていてくれれば、現在の状況に納得してくれたでしょう。このワインこそが30年間かけて、私の出した結果なのです。アルターレの名前は世界で知られています。私は革命志向の反体制主義者だったかもしれません。でも、非常に幸運でした。引き出しに詰め込んだ夢の多くを実現できたのですから」
土地とそこに働く人々を守る
エリオの名刺は名前とVITICOLTORE(ブドウ栽培者)という肩書きだけを記した簡素なものだ。農民としての誇りがうかがえる。
「覚えておいてください。この世には、ヴィティコルトーレと企業家の2種類があります。両者は全く違います。企業家は醸造と畑の担当者を置いて、ときには100ヘクタールの畑から大量のワインを造ります。私の10ヘクタールの畑には8人が働いています。ブドウの樹を尊重し、土地の力を使い果たさないよう、ワインを手造りします。樹が死んでしまったら、我々も生きていけません。お金のためではありません。土地とそこに働く人々を守るのが最も大切です。それがひいては、飲む人を守ることになるのです」
1つのことをやり続けるだけで、人間はここまで偉大な思想家になることができる。日々の仕事を深遠な哲学に昇華できる一握りの人間は、どこの世界にもいるものだ。
「ピエモンテに来てくれ。畑で働く人々を見れば、私の言うことが実感できるはずだ」。真摯な表情で、固く手を握ってくるエリオの瞳を見ながら、本物の造り手に出会えた幸運をかみしめた。
プロフィール
エリオ・アルターレ氏 Elio Altare
バローロ・ボーイズの旗手
1950年9月11日生まれ。醸造学校には行かず、父からワイン造りを教わる。25歳になったときから、様々な改革に取り組み始め、モダン・バローロの基礎を築いた。世界遺産「チンクエテッレ」で若い造り手を助けるボランティアにも力を入れている。
(2007年3月23日 読売新聞)