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「うなぎのおにぎり」 松木安太郎さん

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最近の若いサッカー選手は立派な体格をしているけど、意外にもろいなと感じることも。「うなぎ食った方がいいかもしれませんね」=米山要撮影

 ◆濃厚なタレ強い体の基

 東京の下町・小伝馬町。明治初期から続く老舗のうなぎ屋の長男に生まれた。家の中も周囲も、かば焼きの香りが漂っていた。

 子どものころの楽しみは、祖父母が作ってくれるおにぎり。大きな釜に残ったおこげをかき集め、直径40〜50センチほどもあるかめになみなみと入っているうなぎのタレをひしゃくですくい、ひとかけする。片手で持てないほどに大きく、ズシッとした重量感。カリッとしたおこげに、うなぎのエキスと脂がたっぷり染みこんだ濃厚なタレがじんわりとなじんだおにぎりは、味、香り、歯ごたえのどれをとっても文句無し。「どういう味って、本当にうまかったとしか言いようがないなぁ」

 出前やうなぎの身にくしを刺す作業など、幼少のころから、よく手伝いをしていた。うなぎの脂に手を滑らせて重箱を落としたり、吸い物の水筒を忘れたりして、父親にしかられることもあったが、「全然苦にならなかった。楽しかった」。

 親孝行の少年に転機が訪れたのは、小学校3年生の時だった。グラウンドでボールをけり、走り回る友人の楽しそうな姿を見て、サッカーを始めた。「何事にも一生懸命」を信念とする少年は、サッカーにのめり込み、1年後、読売サッカークラブに入った。

 中学、高校時代は朝6時に家を出て練習が終わり帰宅するのは夜11時過ぎという毎日。「うまくなりたい一心。嫌になることはなかった」。高校2年生の時には同クラブのトップチームに登録されるまでになった。

 そんな生活を送っていたから、家業の手伝いから、すっかり足が遠のいた。しかし、両親は温かく見守ってくれた。「当然、継いでほしいという思いはあったと思う。まさか、サッカーで飯を食うことになるとは思っていなかったでしょうね。でも、面と向かって話を切り出されたことはなかった」と笑う。

 33歳まで、体をはって相手選手からボールを奪うディフェンダーとして活躍した。身長168センチの体は、当時のサッカー選手としても小柄だったが、選手生活の中で、けがらしいけがといえば、足の指の骨折1回だけだった。

 「うなぎのおかげと思っています。タレだって、明治以来、数え切れないほどのうなぎが通過して、その栄養分が染みこんでいるわけだから」。選手時代は、疲れをとるための作業の一つとして、意識的にうなぎを食べた。

 現役を退き、Jリーグで3回の監督を経験した現在は、解説者として、将来を夢見る子どもたちの指導者として、全国を飛び回る。そんな活動を続ける中、よく訪れるようになった場所で、気になる土産物屋を見つけた。うなぎのおにぎりが並んでいるのだ。茶褐色のご飯の色は、かつて祖父母が作ってくれたおにぎりに似ていなくもない。

 ところが、味の方は……。「でも、あの色にひかれて、行くたびに、つい買ってしまう。もしかしたら、おいしくなっているかもしれないと思ってね」(斎藤 圭史)

 まつき・やすたろう サッカー解説者。1957年、東京都生まれ。現役時代、Jリーグの前身「日本リーグ1部」で、208試合に出場し7得点。83〜87年には日本代表として、五輪予選、ワールドカップ予選などに出場。

2005年5月17日  読売新聞)
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