「ひき肉」 安部譲二さん手をかければ変わる「最近、けちになってね。冷蔵庫を見てごらん。ひき肉ばかりだよ。この頃はひき肉と第3のビールで生きてる」 本当ですか? と聞き返すと、「作家が本当のことを言ったら、政治家と女優が困るじゃない」。冗談めかすが、ひき肉好きは正真正銘のようだ。 よく食べるのが、そぼろ。肉は牛でも豚でも合いびきでもいい。妻がしょうゆとみりんなどを加えて炒めるのを、台所の外から首を伸ばして見ながら、つい「味を見ろ」などと口を出してしまう。 出来上がると、丼に盛ったご飯にかけたり、ナムルと一緒にしてビビンバにしたり。ご飯は少し硬めに炊き、粗熱を取った生温かいくらいのものがいい。熱いと、息でフーフーと冷まそうとして、せっかくの香りが逃げてしまうからだ。 ひき肉の魅力は、値段が安い割においしいことに尽きる。外国産の安い肉でも、調味料や香辛料を使うだけで別物になる。「経済危機の中、料理法をもっと研究すべきだな」 ひき肉の最初の記憶は、少年期にさかのぼる。戦後の食糧難の時代だから、小学校の昼ご飯には、サツマイモなど粗末なものしか持って行けなかった。だが、遠足や運動会は別。弁当箱を開くと、ご飯の上に半分は鶏のひき肉で作ったそぼろが、半分は炒り卵がのっていた。「お袋の機嫌がいい時は、下にノリも敷いてあった。うまかったなあ」 ただ、20、30歳代は食べる機会が減った。その頃は、中学時代に足を踏み入れたヤクザの世界に染まり、その傍らでライブハウスや外車販売会社などを経営していた。「バカな気取りがあるから、モツやひき肉は人前では食べなかった。今思うと、くだらないね」。刑務所で服役し出所すると、仲間と店に出掛けて食べるのはステーキや焼き肉だった。 自宅で落ち着いて食事を取るようになったのは、50歳代になり結婚してから。ヤクザ稼業から足を洗い、ベストセラーの「塀の中の懲りない面々」(1986年)で作家デビューを果たしていた。お袋の味を思い出しては妻に伝えるようになった。ひき肉を使ったそぼろもその一つだ。 「作家になって最初の頃は、物を深く考えず、読者や編集者受けすることを書いた。大うそつきだからね」。「書けるだけ書け」と言われ、座ると眠ってしまうため、立ったまま首から下げた画板で小説を書いたこともある。 落ち着いて物事を考えるようになったのは、還暦を過ぎてから。著作以外にも、自身のホームページを開設して、「読者や編集者にこびず、おもねらない」社会批評などを書くようになった。ただし、昔の癖が抜けず、ついつい面白おかしく書いてしまう。 「若い頃は肉は高ければうまいと思っていたけど、ひき肉だって上手に料理すれば、高級肉に匹敵する。年を取って、そういうことに考えが至ると、世の中、楽しくなるね」(西内高志) あべ・じょうじ 作家。1937年、東京都出身。原作の人気漫画「RAINBOW 二舎六房の七人」は、6月に、ビッグコミックスピリッツ(小学館)で、連載が再開。7月には「絶滅危惧種の遺言」(講談社文庫)を出版。 (2009年6月9日 読売新聞)
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