オクラ(東京・八丈島) 島に根づく舶来ネリ島には「ネリ」と呼ぶ夏野菜がある。都心から南へ290キロ。八丈富士(標高854メートル)のふもとに広がる畑で、浅沼克己さん(55)がそのネリを収穫していた。 葉陰にのぞく薄緑色のさやはまぎれもなくオクラ。が、スーパーで見慣れたものより断然大きい。全長15センチ近く。断面も、星形ではなく丸っこい。食べ方は「みそを付けて生でかじるに限る」。本土で主流のものとは違う品種で、皮が軟らかく、大きく成長しても生で十分いけるのだ。 ほろ苦さ、かすかに甘い青臭さ、独特の粘りと種の歯触りがみそとよく調和し、食が進む。本土にはまず出荷されない、島ならではの味覚だ。 実はオクラは英語でもokra。原産地といわれるアフリカの言葉に由来する。ではなぜ島では「ネリ」なのか? ネリとは本来、和紙を作るときに糊(のり)として使われるオクラの近縁種、トロロアオイの別名。明治の初めにアメリカから入ってきたオクラは当初、「アメリカネリ」と呼ばれた。だが当時は普及せず、日本で栽培が広まったのは1970年代以降だった。 浅沼さんの記憶では、島で栽培が始まったのは50年ほど前。「サイパンからの引き揚げ者が、園芸品種として島に持ち込んだらしい。子供の頃は4、5軒しか種を持っていなくて、うちも親類のつてを頼って分けてもらった」 フェニックス・ロベレニーは、島で当たり前のように目にするヤシ科の観葉植物、花束の添え葉でおなじみだ。今でこそ国内産のほぼ100%は島モノだが、これも元々は大正時代に東南アジアから移入され、特産に化けた。 ネリ以外に浅沼さんが手がけるパッションフルーツや、花のサンダーソニアも外来の植物だ。アロエもそう。あのくさやだって、元は新島から伝わった。 さらに言えば、江戸時代の流人はもちろんよそ者で、浅沼さん自身もれっきとした「流人の子孫」だ。海を越えてやって来たものがいつの間にか日常に溶け込んでいる。島の持つ、しなやかな風土の一端である。 (2009年8月24日 読売新聞)
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