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    寄稿・インタビュー

    『増補版 箱根駅伝』…箱根路彩った選手の物語(上)

    著者の一人で元ランナー近藤雄二・運動部デスクに聞く

     第90回大会(2014年1月2~3日)記念で出版された読売新聞運動部著『箱根駅伝 世界へ駆ける夢』(中央公論新社刊行)が、新たな取材と発掘資料によって大幅に加筆され、『増補版 箱根駅伝』(中公新書ラクレ)となった。歴代の陸上競技取材担当者8人からなる執筆チームの“アンカー”をつとめ、早大競走部時代に箱根に3回出場した経験をもつ近藤雄二・運動部次長に話を聞いた。

    • 「箱根を走った選手たちの物語に重点を置いた」という近藤雄二・運動部次長
      「箱根を走った選手たちの物語に重点を置いた」という近藤雄二・運動部次長

    ――『増補版 箱根駅伝』は、箱根の歴史を変えた“山の神”柏原竜二(東洋大)に始まり、往年のランナーたち33人の足跡をたっぷりと紹介しています。

     90回大会を記念するなら、箱根駅伝の歴史をしっかり記した本を出そうという声が、運動部内にありました。しかし、読んでもらうことを考えると、歴史の記述だけではなく、人間が出てこないといけない。どんな人がどういう思いで走ったか、に重点を置きました。

    ――その単行本が出てから、わずか3年で大幅増補版を出した意図は?

     第91回大会で初めて優勝した青学が、16年の第92回大会では39年ぶりの完全優勝で連覇を果たすという、大きな変化が生まれました。リオ・オリンピックにも箱根経験者が出場しましたし、東京オリンピックへの展望が見えつつある。そこで増補版を、ということになりました。

    ――第一章はまず「山の神」たちをクローズアップしてますね。

     ぼくとしてはエース区間の花の2区から行きたかった。2区はエースが、山は適性がある選手が走る。しかし、近年、5区の距離が伸びていたこともあり(93回は81回目までとほぼ同じ距離の20.8キロに戻る)、そこで活躍した「山の神」たちがクローズアップされていましたので、最終的には5区からスタートすることにしました。

     箱根の一番大きな特徴は5区、6区の山。800メートル以上の標高差があり、ほかの駅伝、レースには存在しないコースです。約2.5キロ伸びていた間は、適性の差がさらに広がり、残り2キロで低体温症でふらふらになって倒れることが続発してしまいました。危険じゃないかという話も出て、今大会から元にもどすことになりました。

     2区でエース同士がかけ引きをやっても、なかなか1分差はつかない。こつこつ“貯金”して、4区までに2分リードしても、5区で逆に大どんでん返し、というのは、醍醐味(だいごみ)ではあるんですけれど、見方を変えれば、逆に味気ない、ということにもなりますね。

    ――この本の登場人物は大変、多岐にわたります。古い時期の取材も含まれているわけですね。

     黎明(れいめい)期の大会の歴史に関しては、従来の文献、過去の新聞記事、残っている書籍、各大学発行の書籍などに基づいて書かせていただきました。

    ボストンマラソン優勝の名ランナーも箱根路に

    • ボストンマラソンの翌年、第28回箱根駅伝往路3区。雨の戸塚中継所をスタートする田中茂樹さん(日大)(1952年1月6日撮影)
      ボストンマラソンの翌年、第28回箱根駅伝往路3区。雨の戸塚中継所をスタートする田中茂樹さん(日大)(1952年1月6日撮影)

    ――実際にお会いしたうえでの取材の中で一番古い方は?

     例えば「第三章 箱根が生んだ世界的ランナー」に出てこられる田中茂樹さん(日大)(85)。1951年のボストンマラソンで足袋を履いて走り、日本人初のボストン優勝者となった。武勇伝みたいな話ですよね。聞かせていただいて非常に面白かった。

     厳密にいうとボストンに勝ってから箱根を走っている。箱根が育てた選手というよりも、名ランナーが箱根を走ったわけですが。「ボストンで優勝してからも、箱根を走りたいと思った」とおっしゃったのが印象的でした。

     テレビ放送もない時代ですけども、箱根は、当時の長距離ランナー、学生、若い人たちにとって、走りたい、夢のある大会だったのだなと、実感しました。既に日本の長距離界にとってはすごく大きな存在だった、というのがわかります。

    砂を食べて見せた監督

    ――エピソードで驚いたのは、瀬古利彦さんのころの早大の中村清監督(36年・ベルリン・オリンピック1500メートル代表)。「今の早稲田が弱いのはOBのせいだ。OBを代表して謝る」と言って、血が出るまで自分を殴った……。

     「これを()ったら世界一になれるというなら」と言って、海辺の砂を食べて見せたり、地団太(じだんだ)踏んで足を骨折したりと、激しい方だった。中村さんを見ていた瀬古利彦さんも、指導者になってからまねをして、砂を飲み込むところまでやったみたいですよ。でも、「やっぱりまねじゃだめなんだ」って言ってました。

    ――近藤さんが箱根を走ったころと、今と違いはありますか。

     私は、89年に6区、90年と91年に8区を走ったわけですが、30年と経っていないのに、練習の方法も環境も全く新しくなっているのに驚きます。

     栄養の取り方、食事の管理に専門のトレーナーがつく。筋力トレーニングなんて当たり前。僕のころは、そんなもんなかったですからね。青学大も「青トレ(青学駅伝チームのコアトレーニング&ストレッチ)」という本を出し、専門的な体幹トレーニングを取り入れています。東海大はスポーツ科学の関係の学部と連携して低酸素のテントに寝泊りして、高地と同じような環境を作ってトレーニングをしています。日体大は50日ぐらい合宿に行っている。最近の20年ぐらいの練習の進歩は、本当にすさまじいなと思います。

    (聞き手・メディア局編集部 浅見 恭弘)

    • 中公新書ラクレの「増補版 箱根駅伝 世界へ駆ける夢」(読売新聞運動部著、定価860円=税別)
      中公新書ラクレの「増補版 箱根駅伝 世界へ駆ける夢」(読売新聞運動部著、定価860円=税別)
    2016年12月14日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun