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    寄稿・インタビュー

    「山の神」柏原竜二引退…箱根で燃え尽きたの声に

     東洋大時代、箱根駅伝5区での4年連続区間賞獲得で「山の神」と呼ばれ、4月初めに現役を引退した富士通の柏原竜二さん(27)が、読売新聞のインタビューに応じた。実業団では一転、度重なる故障に苦しんだ競技生活を振り返り、「自分の中で後悔はない」と率直な思いを語った。

    (聞き手=運動部・西口大地)

    「マラソン夢舞台に感動」

    • インタビューに答える柏原竜二さん(東京都港区の富士通本社で)
      インタビューに答える柏原竜二さん(東京都港区の富士通本社で)

     ――今年1月、右アキレスけんの故障が再発したのを機に引退を決めた。

     「(骨盤内の)仙腸関節も痛めて、今も痛み止めをもらって飲んでいる。区切りをつけたかったし、なあなあで続けることは応援してくれる方に申し訳ない。この15年間唯一飽きずに続けてきた陸上を、嫌いになって終わりたくなかった」

     ――競技生活を振り返って、最大のターニングポイントは。

     「高校2年で貧血に気づき、自分で食事の好き嫌いをなくそうと思えたこと。(成績が向上し)東洋大学の当時の川嶋伸次監督らに『面白い選手』と思ってもらえた。これで、大学に拾ってもらえた」

     ――一番思い出に残っているレースは。

     「大学1年の関東インカレ(学生対校選手権)1万メートルで日本人1位を取った試合。入賞はほぼ確定していたので、ラスト1000メートルからスパートした。捨て身で行けたのがよかった」

    • 2012年の箱根駅伝往路で、歯を食いしばって力走する東洋大4年の柏原さん
      2012年の箱根駅伝往路で、歯を食いしばって力走する東洋大4年の柏原さん

     ――箱根駅伝のレースが一番ではなかった。

     「初優勝した時もうれしかったけど、その半面、反動がすごかった。街中を歩けば指をさされたり、電車で眠っていてもたたき起こされたり……。生活環境が全く変わってしまった」

     ――箱根の活躍で、周囲からは五輪など世界での活躍が期待された。

     「自分の中では最初冷めていた。箱根と、トラックやマラソンは別物だという区切りはしっかりしているつもりだった。でも、大学卒業前に雑誌の対談で会った高橋尚子さんがすごく輝いていた。五輪や世界選手権がこうだったという話を聞き、出てみたいという気持ちが明確になった」

     ――今回の引退で、一部のメディアから「箱根駅伝で燃え尽きた」と言われることをどう思うか。

     「言わせておけばいいと思う。(2015年に)シドニーで初めてマラソンの舞台に立てた時は本当に感動した。やっとやりたいことができる、ずっとテレビで見て憧れてきたものが現実になったと思った。本当はもう一回、あの場に立ちたかった」

     ――今後は富士通で、陸上のほか、女子バスケットボール部やアメリカンフットボール部の活動もサポートする。

     「自分から現場に足を運び、競技の良さや厳しさ、実情を伝えていきたい」

    プロフィル
    柏原竜二(かしわばら・りゅうじ)
     1989年生まれ。福島県出身。福島・いわき総合高から東洋大に進み、箱根駅伝では2009年の初優勝を含む3度の総合優勝に貢献。12年に富士通入社後、15年9月のシドニーマラソンでフルマラソンに初挑戦し、2時間20分45秒で7位。昨年3月のびわ湖毎日は2時間22分15秒で52位。今後は引き続き富士通に勤務する。

    2017年05月02日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun