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    大伴家持が愛した歌枕

    • 布勢の水海のおもかげを宿す「十二町潟水郷公園」
      布勢の水海のおもかげを宿す「十二町潟水郷公園」
    • (上)布勢の水海のおもかげを宿す「十二町潟水郷公園」(下)布勢の円山に立つ「大伴家持卿遊覧之地」の石碑
      (上)布勢の水海のおもかげを宿す「十二町潟水郷公園」(下)布勢の円山に立つ「大伴家持卿遊覧之地」の石碑

    「万葉集」布勢の水海(氷見市)

     急な石段を上り、山頂の布勢神社からの眺めに息をのんだ。水を張った田んぼがきらきらと輝き、まるで湖のようではないか。万葉集に歌われた「布勢の水海」とは、こんな景色だったのかしら――。

     ここは「布勢の円山」と呼ばれる、おわんをふせたような形の丘陵だ。かつて、氷見市南部の田子、布施、十二町などの地域にわたる低地には「布勢の水海」という湖水が広がっており、この丘陵が孤島のように浮かんでいたという。

     越中国守として赴任していた大伴家持は「布勢の水海」を愛してしばしば訪れ、遠方からの客を舟遊びでもてなすなどしている。数多くの歌が詠まれた万葉の歌枕だ。

     ことに、遊覧の際に水面に映る藤の美しさを詠んだ「田子の浦」は藤の名所として知られ、後代の文人にとって憧れの地であったらしい。江戸時代、松尾芭蕉も「おくのほそ道」のなかで、藤波で有名な田子へ行ってみたいと土地の人に場所を尋ねている。

     長年の土砂の堆積や干拓事業によって「布勢の水海」は縮小し、現在では十二町潟にそのおもかげを宿すのみだ。それほど大きな湖水が広がっていたとはにわかには信じられないが、平野部一面の水田がきらめくこの季節は、いにしえの歌枕がよみがえってくるようだ。

     布勢の円山には「大伴家持卿遊覧之地」と刻まれた石碑のほか、大伴家持をまつった御影社がある。遊覧のおり、この小島に舟を寄せて緑陰に憩うこともあっただろうか。優雅に舟遊びに興じる若き国守の姿が目に浮かんだ。

     ★「万葉集」

     7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれたとされる現存する日本最古の歌集。4500首以上の歌が集められ、代表的な選者と考えられている大伴家持は最多の473首を占め、うち半数近くが越中時代のものとされる。

    フリーライター  沢田 香織

    2017年05月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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