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    御所造営義仲の大望

    「新・平家物語」 あさひ城山公園(朝日町)

    • 源義仲が北陸宮の御所を造営したのが始まりという宮崎城跡
      源義仲が北陸宮の御所を造営したのが始まりという宮崎城跡
    • 晴れた日には能登半島を望むこともできる絶景スポットだ
      晴れた日には能登半島を望むこともできる絶景スポットだ

     越中宮崎に御所があったの?

     吉川英治の「新・平家物語」を読んで、源義仲が北陸宮の御所を越中宮崎にしつらえたと知ったときは、それはもう驚いたものだ。

     標高249メートルの城山に築かれた宮崎城は県内最古の山城のひとつとされ、県教育委員会によると、1182年、源義仲が北陸宮の御所を造営したのが始まりとされる。現在、城跡一帯は「あさひ城山公園」として整備され、豊かな自然と歴史探訪を楽しむことができる。

     なんとまあ、見晴らしのよいところだろう。公園駐車場から城跡に向かううち、息をのむような眺望が開けてくる。真っ青な海の向こうにかすんでいるのは、能登半島だろうか。右手を見れば、海へとなだれ落ちる親不知の断崖、左手には黒部川の大扇状地が雄大に広がる。

     まるで一天四海を手中にしたかのようなこの絶景を前に、義仲は平家討伐の誓いを新たにしたことだろう。義仲ファンとしては、彼にゆかりのある地にいると思うだけで胸がときめいてしまう。

     本丸、二の丸、三の丸と遊歩道をたどっていくと、史跡紹介の案内板がある。近隣には義仲が植えたという桜や、武運を祈願した神社などが数多くあり、いずれ回ってみなくてはと、わくわくしてくる。

     ここに御所を造営した翌年、義仲は倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を撃破。ついに平家を都落ちさせた彼は、北陸宮こそ、次の皇位につくべき方と働きかけるが……。義仲が大望を胸に抱いた越中宮崎は、壮大な歴史絵巻の舞台のひとつだ。城跡を歩きながら歴史ロマンに酔いしれた。

    フリーライター  沢田 香織

     

     ★「新・平家物語」

     吉川英治の歴史小説。源平両氏や奥州藤原氏の興亡、公家の盛衰を織り交ぜ、平安時代から鎌倉時代までを描いた長編。1950年から57年にかけて雑誌連載された。吉川英治歴史時代文庫や新潮文庫で読むことができる。

    2018年06月13日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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