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カナリアの歌

研究員の顔ぶれ

調査研究本部主任研究員 浅海伸夫

民主党の小沢一郎・元代表

 冬ごもりしていた虫がはい出る「啓蟄」。それを待たずに、民主党の小沢一郎・元代表が動き始めた。またぞろ政局の季節である。

 2月3日の「節分」の夜、小沢氏は鳩山元首相と都内で会談し、野田内閣がめざす消費税率引き上げに反対する考えで一致した。その際、小沢氏はこんな言葉を漏らしたという。

 「歌を忘れたカナリアに歌を思い出させないといけない」

 小沢氏は10日、BS11の番組で「あの時の政権交代の原点である我々の主張と姿勢を、全く忘れてしまっているんじゃないか」と、民主党執行部を批判した。

 これらから類推すると、小沢氏のいう「歌」とは、自民党政権を打倒した2009年衆院選の民主党マニフェストである。それを思い出させる相手は、ほかならぬ野田首相だ。

<唄を忘れた金絲雀(かなりや)は/うしろの山に棄てましよか。/いえ、いえ、それはなりませぬ。>――詩人・西條八十の『かなりや』。

 これが政治の世界で持ち出されるのは、そう珍しいことではない。例えば、ある労組幹部は以前、「『連合』はストをしない、戦闘的でないといわれるが、決して『歌を忘れたカナリア』ではない」と述べている。本分や使命は忘れていない、と言いたかったのだ。

 実は、筒井清忠氏の名著『西條八十』(中公文庫)によれば、八十自身も、そうした思いをこの詩に込めていたようだ。青年期、「享楽児」の兄の仕業で無一文になった八十は、使命の詩作を果たせず、商売に憂き身をやつしていた。そうした中、八十が自らをムチ打つようにして生まれたのが、この哀愁深き『かなりや』なのだという。

 小沢氏が「使命」を忘れるな、というのは一見もっともらしい。しかし、小沢氏は、仄聞する限り、自らを省みることなく、他者ばかりムチ打っているのではないか。

 思い返せば、あの「歌」、すなわち小沢氏が深く関与したマニフェストは、子ども手当をはじめ、すでに多くの公約違反を重ねてきた。政権交代にあたって唱えていた政治主導は、政治の混乱を招いただけで、政権も「たらい回し」を続けている。鳩山、小沢両氏の「政治とカネ」のスキャンダルは、民主党への信頼を失墜させた。

 その責任の多くは、小沢氏が負うべきものだろう。にもかかわらず、あの歌をもう一度、と言われても、そんな"偽りの歌"に誰が耳を傾けよう。しかし、小沢氏は、これを承知のうえで、野田政権を内側から揺さぶろうと、あの「歌」をうたっていくだろう。 

 八十には、『お山の大将』という詩もある。

<お山の大将/俺ひとり/あとから来るもの/つき落せ>

 丘の上で遊び戯れる子どもたち。やがて夕日の中、仲間はちりぢりに去って、詩の最後の第4連は、<お山の大将/月ひとつ/あとから来るもの/夜ばかり>

 小沢氏の政治家人生の来し方を振り返る時、この詩は小沢氏に似つかわしくみえる。

 近く、民主党内の「親小沢」「反小沢」の政争が、再び火を噴くことになる。小沢氏は、一体、いつになったら、家郷に「帰りなんいざ」の心境になるのだろうか。

2012年2月23日  読売新聞)

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