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役割が入れ替わった旧植民地と宗主国

研究員の顔ぶれ

調査研究本部主任研究員 宮明 敬

建設ラッシュが続くアンゴラの首都ルアンダ郊外(2010年1月13日撮影)

 アフリカ南西部のアンゴラからポルトガル行きの旅客機が離陸した瞬間の安堵感は、いまも忘れられない。

 それは、もう4半世紀も前のことになる。国連の招待で訪れた内戦中のアンゴラは、混沌が支配していた。首都ルアンダから前線に近いロビトに向かう国内便が出ると役人から聞かされ、空港に出向いては何度も待ちぼうけを食わされたり、取材中にカメラや財布を強奪されたり……。それまで先進国しか知らなかった身には、内戦で手足を失った人々の物乞いやホテルの壁を這い回るヤモリにも気分が滅入った。

 そんな苦い経験をしたせいか、アンゴラの旧宗主国ポルトガルは楽園のように見えた。イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」と読んだリスボン郊外のシントラに、宿をとったせいでもあったろう。

 そのポルトガルがいま、旧植民地のアンゴラに投資や支援を仰いでいるという。

 ギリシャ、アイルランドに次いで財政危機に陥ったポルトガルは、欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)から緊急支援を受ける代わりに、国有企業の売却や在外公館の一部閉鎖などの緊縮策を迫られ、今年は3%のマイナス成長と予想されている。

 これに対し、アフリカ有数の産油国アンゴラは、原油価格の高騰もあって12%の成長が見込まれている。国営石油企業がポルトガル最大の銀行の株式を大量に取得したり、ドスサントス大統領の親族がポルトガルのメディア企業の買収に動いたりと、アンゴラの資金による「ポルトガル買い」はいまや、枚挙に暇がない。「リスボンの高級品店で物を買えるのはアンゴラ人だけ」とも噂されるようになった。

 人の流れも逆になった。アンゴラが1975年に独立したとき、在留ポルトガル人の大半は、逃げるように本国に帰還した。アンゴラはその後、ソ連やキューバが支援する政府軍と、米国や南アフリカが支援するゲリラ組織との長い内戦に突入した。

 それから30数年。アンゴラの首都ルアンダの空港は、独立闘争が始まった日を記念して「2月4日空港」と呼ばれるが、空港にはいま、ビジネスチャンスや就職口を求めてやって来るポルトガル人が後を絶たないという。

 ドスサントス大統領は昨年11月、「関係強化」を求めてやってきたポルトガルのコエーリョ首相に、「ポルトガル国民が困難に直面していることは分かっており、わが国はいつでも助ける用意がある」と言ってのけた。それは、長い間、収奪と過酷な支配を受けたてきた植民地と宗主国との主従関係が逆転したことを、鮮やかに示した瞬間だった。アンゴラが、東西冷戦の敗者とされる社会主義陣営に属していたことを考えれば、その関係の変容は画期的とさえ言えるだろう。

 栄枯盛衰は世の常といわれる。偉大な文明を生んだ古代エジプトと今のエジプトとの落差、ローマ帝国と現代イタリアの懸け隔てを例に挙げるまでもないだろう。15世紀に始まる大航海時代に7つの海を制した海洋帝国ポルトガルの衰退ぶりも、その一つに過ぎないのかも知れない。

 しかし、ポルトガルとアンゴラの変化は、若い頃に見た光景のポジとネガが反転したようで、新鮮な驚きを与えてくれる。それは、時の流れが国際関係を変えていく過程に自分が気づかなかった、ということでもあるのだろう。

 地球を塑像にたとえれば、2012年も変化のノミが着実に振るわれるに違いない。

2012年1月11日  読売新聞)

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