「卸」を「小売り」に転換
丹羽耕太郎(にわ・こうたろう) 名古屋木材社長 65歳
〈がんを患う〉
1967年、大学4年生の頃に往復の航空券と「アメリカ大陸99日間99ドル」というバス券を持って旅に出ました。所持金は250ドル(当時は1ドル=360円)。いろいろな人の世話になりながら4か月、アメリカを放浪しました。
物事への好奇心が強まったのだと思います。当時の東海銀行に入ったのも、いろいろな人と付き合いながら多くのことを学べる、と考えたからです。
入行後は、早朝に出社、終電で帰宅する日々で、土日は自宅でりん議書を書く。子どもに勉強を教えたこともありません。仕事一筋で、88年に42歳で愛知県
仕事一筋一変
昇進で喜んだのもつかの間でした。気になっていたできものが舌がんと分かり、手術を受けました。
手術後は寝たきりの生活です。二度とがんになるまいと退院後に決意し、生活習慣を改めました。眠くなったら寝て、酒席も1次会まででやめる。仕事は片手間でやることにしました。そのためには自らの能力を底上げしなければなりません。預金、外国為替、融資などあらゆる分野を徹底的に勉強しました。
90年に支店長になった時、頭取から「ゴルフくらいやったらどうか」と言われましたが、「変なのが1人くらいいてもいいじゃないですか」と。寛容だった時代です。笑って許されました。
〈執行役員を経て出向〉
2000年4月に執行役員になりましたが、東海銀では役員の定年は満55歳で、新任役員15人の中で54歳の私は最年長でした。02年1月、旧三和銀と合併した時はさすがに「区切り」だと思いましたが、常務執行役員で残れ、と。自分でも驚きました。
退任はその年の6月でした。銀行員に未練はありませんでした。名古屋木材という会社がある、専務で行かないか。そう言われて、「ありがとうございます」と即答しました。何百人もの部下を出向させてきましたが、大半は銀行に戻っても失望して帰ってくる。第二の人生は、どこでも断らず、一つの場所で懸命に働こうと決めていました。
〈古い体質を一掃〉
どんな会社か。調べもせずに移った名古屋木材は、材木の加工・販売から始まった老舗ですが、取引先は昔から関係のある木材店のみでした。社長就任1年目の04年3月期連結決算は経常赤字でした。戦後の住宅ブームで急成長し、その後も資産を切り売りして生き残ってきたのですが、時代の変化に合わせる努力はまったくしていなかった。
取引先にあいさつに行くと「本当にあの名古屋木材の社長か」と聞かれました。幹部が顧客を訪問したこともなかった。自分の写真が載った新聞記事を見せて納得してもらう始末です。
あきらめない
このままではじり貧です。木材卸という業態はいずれなくなる。事業転換と意識改革をしなければ――と痛感しました。「卸」から「小売り」に転換するため、10年には工務店向けに安くて品ぞろえが豊富な「木材コンビニ」も開店しました。
あそこは安い。施主にそう言われた工務店が直接買いに来てくれるようになりました。今ではリフォームの注文も来るほか、住宅の分譲も手がけています。
昨年には営業マン約60人を全員、中国に研修で派遣しました。急成長している国を肌で感じてきてほしいとの狙いです。木材や建材市場では、店員が「買ってくれ」と追い掛けてくる。ものすごい執念です。自分たちがいかに甘いか、強烈なショックを受けて帰ってきます。
意識改革が実り、まったく別の会社になりました。11年3月期にはようやく黒字転換しました。あきらめなければ道は開ける。銀行員時代からこの考えは変わりません。これからも改革の手を緩めないつもりです。(聞き手 西村公秀)
(略歴) 1946年、岐阜県生まれ。68年同志社大経卒、東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。三和銀行と合併後、UFJホールディングス常務執行役員を経て2002年6月に名古屋木材専務。03年6月から社長。過去30年以上、午前3時に起きて日記を書いている。その日にやるべきことを書きとめたノートは現在、51冊目。初めて会った人には絵はがきを出し、年賀状は1500枚書く筆まめだ。
《こんな会社》
第2次大戦中に戦時統制品に指定された木材を扱う国策会社が源流。戦後に木材の卸会社として再出発した。2010年に名古屋市内にリフォーム用合板などを売る木材コンビニ「A’zen(エイゼン)館」を出店。最近では岐阜大と協力して「曲がる木」を開発、眼鏡のフレームや靴べらなどへの商品化を目指す。11年3月期の連結売上高は51億円。従業員数は65人。
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