◆子どもの叫び、伝えたい 貧困、買春…みんなも知って
戦争、貧困(ひんこん)、買春(かいしゅん)、兵士……。世界の子どもたちは様々な問題に直面しています。歌手のアグネス・チャンさんは、日本ユニセフ協会大使として、そのような子どもたちを訪ね、「悲痛(ひつう)な叫(さけ)び」を多くの人に伝え、少しでも状況を改善したいとがんばっています。歌手とボランティアを両立させて活躍しているアグネスさんにインタビューしました。
 アグネス・チャンさん |
――最近も東欧(とうおう)のモルドバに行かれたそうですね。
モルドバはルーマニアとウクライナにはさまれた小さな国で、旧ソ連の崩壊(ほうかい)後の1991年に独立しました。電気も学校も全部タダだった社会主義の国が突然、自由主義経済の国になって、それについていけない人が街にあふれ、貧富(ひんぷ)の差が広がりました。今では人口の3割もの人が国外に出かせぎに行っています。そして今、大きな問題になっているのが子どもの人身売買(じんしんばいばい)です。売春(ばいしゅん)や物ごいをさせられ、さらには赤ちゃんまでが売られています。被害にあった子どもや心のケアをしている施設などを見学しましたが、子どもたちは肉体的にも精神的にも相当なダメージを受けていました。
――これまでにもいろいろな国を訪れ、子どもたちの悲惨(ひさん)な状況を見ていると思いますが?
85年に、日本テレビの“24時間テレビ”の司会を務めた時、内戦と干ばつが続いたエチオピアに行きました。難民キャンプで、どんどん人が死んでいくのを見ていたら、〈いくら私たちが、がんばっても状況は良くならないのでは〉と思えたんです。その時、日本人のある看護師さんが、「理屈(りくつ)を言う前に与えられた役目を果たしなさいよ」と言われたんです。
そこで私が、子どもたちに現地の言葉で『ロンドン橋』の替え歌を歌ってあげたら、骨と皮しかない、今にも倒れそうな子どもたちが立ち上がって踊(おど)ってくれたんです。これには、すごく感動して……。苦しんでいる子どもたちのことを絶対忘れないで、自分にできることからやっていこうと思いました。あの時、人生が変わりました。
――ところで、どんな子どもでしたか。
6人きょうだいの4番目で、すごい照れ屋。そして、いつも2人の姉に比べられ、自信がなくて自分が嫌いでした。それが、中学の時のボランティア活動で変わりました。体の不自由な子どもの施設への訪問を重ねていくうちに、〈自分の悩みなんてちっちゃな問題だった〉と感じたんですね。施設にお金などを贈るために、友だちと組んで歌を歌っていたところを、スカウトされたの。ボランティア活動がきっかけで歌手になったのよ、私。
――歌手になって間もなくカナダの大学に留学しましたね。
父の勧(すす)めでした。いきなりアイドルになったので、「このままでは自分を見失ってしまう。だれも知らないカナダで頭を冷やしなさい」と。仕事先からは反対されたし、カムバックしてからも苦労しました。その後も、妊娠(にんしん)中でしたけど、アメリカの大学院に、上の子を連れて留学しました。ものすごく大変でしたけど、多くの人にたくさん親切にしてもらいました。
みんなも自分の「夢の種(たね)」を捨てないで、心の中に大事に持って、あきらめないでほしい。現実は厳しいけど、いつか花咲(さ)く時がきっと来るから。
そして、地球上で起こっている様々な問題を知ろうとする努力をし、問題に直面している子どもたちを、1人でも自分の心の中に住まわせ、力になってあげてほしい。
◇私たちが取材しました
◆行動力にあこがれ
歌手として活躍しているアグネスさんも大好きですが、子どもたちのためにボランティアをしているアグネスさんも大好きだなあと思いました。(中2・平岡涼子記者)
人間として生まれたからには、だれだって幸せになりたい。それなのに子どもを売買するなんて残酷すぎる。この現実をもっと知って、声をあげてその人たちを守っていく努力をするしかないと思いました。(高2・本庄優理香記者)
アグネスさんの行動力に強いあこがれを感じました。「夢はいつか、かなう」という言葉も心に残りました。私も多くの経験を積んで、人間として成長していきたいと思います。(高2・松本真実記者)
〈プロフィル〉 1955年、香港生まれ。72年、日本で歌手デビュー、『ひなげしの花』でアイドルに。98年から日本ユニセフ協会大使としてスーダン、カンボジア、東ティモール、イラクなどを訪問。目白大客員教授(異文化コミュニケーション論)。 |