舞台は自分との戦い ブロードウェーで活躍・高良結香さん
 ◆「RENT」公演で帰国 

 米国・ニューヨークのブロードウェー。そこは、世界中のミュージカル俳優(はいゆう)を夢見る演技者たちが、舞台(ぶたい)出演を目指してしのぎをけずる本場の劇場街(げきじょうがい)です。厳(きび)しい競争を勝ち抜いて、ここ数年、著名(ちょめい)な舞台に出演し続けている日本人のミュージカル女優が、高良結香(たからゆか)さんです。来月の来日公演を前に一時帰国した高良さんに、これまでの体験などを聞きました。(小6・吉武将希、中3・矢野沙織、高1・高松奈々記者)
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高良結香さん


 高良さんは、沖縄(おきなわ)県那覇(なは)市出身。3歳からピアノとバイオリンを始め、5歳から18歳までバレエを習いました。「5歳の時、友達がバレエの発表会で、バイオリンで習っている曲をバックに楽しそうに踊(おど)っているのを見て、感激。すぐバレエを始めました」

 インターナショナルスクールの高校を卒業後、バレエの先生になろうと、米国・バージニア州の私立大学でダンスを専攻しました。でも1年後に「もっといろんなダンスを学びたい」と、ニューヨークへ移りました。

 「ニューヨークでは、ダンススタジオの受付で働きながら、レッスンを受ける日々。やがて
歌、踊り、演技が一つになったミュージカルの生の舞台を見ました」

 結局ダンスだけでは生活できないと分かり、「役を得て舞台出演するしかない」と、プロのミュージカル女優としてユニオン(労働組合)に加入して働ける、ブロードウェーの舞台を目指しました。

 毎週発刊されるオーディション情報誌「バック・ステージ」をチェック。「アジア人不要」とか「長身者を求む」の条件でも、かまわず次々と挑戦(ちょうせん)しました。多いときは日に5回。総数はこの10年間で1000回以上にのぼります。

 「競争とともに、差別にもあいます。沖縄人、日本人、アジア人として、オーディションで門前払(もんぜんばら)いされたり、会場に入(はい)れてもダンスを見てもらえなかったり……」。それよりつらかったのは、どんな事があっても故郷の沖縄にすぐには帰れないことでした。

 やがて才能が認められ、2001年、「マンマ・ミーア」にアンサンブル(複数の役をこなす演技者)で出演。それをきっかけに、全米ツアーでは主役を演じた「フラワー・ドラム・ソング」、宮本亜門演出の「太平洋序曲」など、さらに06年には16年ぶりに再演された「コーラス・ライン」に参加、そのドキュメンタリー映画「ブロードウェイ ブロードウェイ」にも出演しました。

 そして、07年からピュリツァー賞やトニー賞などを受賞した「RENT(家賃)」にアンサンブルで出演。その来日公演は来月7日から30日まで、東京・赤坂ACTシアターで行われます。「音楽がロックで、エイズ、同性愛、薬など現実的な話題が豊富。主題は愛なので、家族で見に来て」と高良さん。

 「公演では、いつも観客と一緒(いっしょ)に舞台を作っています。同じ舞台は一回もない。だから、過去や将来は考えず、その日、その時にベストを尽(つ)くす。毎日が自分との戦いです」と、女優魂(じょゆうだましい)を語ります。

 シンガー・ソングライターとしても、06年と08年に、沖縄のレーベル・ハーベストファームからCDアルバムを発売。08年秋には体験をまとめた本『ブロードウェイ 夢と戦いの日々』(ランダムハウス講談社)も出版しました。

 最後に「苦労もあるけど、舞台への愛情がそれを上回るからやっていられる。みんなも自分の進路を決めたら、自分の意志と責任で全(まっと)うして」と私たちを励(はげ)ましてくれました。

作成日: 2009年07月23日

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