アレキサンダー・マックイーンの死
英国の人気ファッションデザイナー、アレキサンダー・マックイーンが11日、亡くなった。享年40歳。折しも、2010〜11年秋冬ニューヨークコレクションの開幕日だっただけに、世界中のファッション関係者、ファンの間に衝撃が走った。
私が初めてマックイーンの服を間近で見たのは、1990年代の後半ではなかったかと思う。東京・神谷町のロシア料理店「ヴォルガ」で服を披露した。服は暗いイメージが漂い、モデルが大きなシカの角を頭につけて歩いたことを思い出す。どこかイギリス・ビクトリア時代のディケンズの小説にでも出てきそうな、特有の暗さと退廃的な雰囲気があったのが印象に残った。
16歳で学校を中退し、ロンドンのサヴィル・ロウにある有名紳士服店で修業をし、チャールズ皇太子の背広の仕立ても担当したというのは有名な話だ。その後、ファッションの名門校であるセント・マーチンズで修士号を取得し、デザイナーとして世に出た。
96年、フランスのコングロマリット(巨大企業体)LVMHグループの傘下であるブランド「ジバンシイ」のデザイナーに抜てきされたことで、注目を集めた。当時、フランスの国民的ブランド「クリスチャン・ディオール」に、同じくイギリスの気鋭、ジョン・ガリアーノが選ばれたこともあり、イギリス人にとってマックイーンは、「イギリスの誇り」となっていった。
パリコレに取材に行っていたころ、アレキサンダー・マックイーン、ジバンシイともに、どうしても見たいブランドとなった。その後、2001年にジバンシイを辞め、自社の株をLVMHのライバルであるグッチグループに売ったことも話題を集めた。
歩けないようなデザインの靴をモデルにはかせたり、女性をいためつけているようにみえる過激な演出をしたりするなどで物議を醸すこともしばしばだったが、私が見た2004年春夏パリコレクションは、女性の体に沿う美しいシルエットのドレスが多数登場し、マックイーンの仕立ての腕の確かさを見たような気がした。
自殺のきっかけとなったのは、今月2日に母親が亡くなったことだと報じられている。命を絶つ数日前にも、ツイッターにつらい気持ちをつぶやいていたという。欧米の新聞記事を読んでいると、サクセスストーリーの裏側には、彼が苦悩を抱えていたことがわかる。
90年代後半から世界のファッション界は急激に変わった。いくつかのグループによるファッションブランドの買収が相次いだ。次々に若手デザイナーが老舗ブランドに起用され、豊富な資金をもとに、ブランドは巨大化していった。成功したデザイナーもいるが、スピード化が進むシステムの中で、次々に新しい製品を生み出し、売り上げを上げていかなければ生き残っていけない厳しさに、みんなが疲弊していった感じがする。彼もそのひとりだったのかもしれない。
アレキサンダー・マックイーンが何を考えて死んでいったのかはわからない。しかし、いろいろなことを考えさせられる死であったし、才能のあるデザイナーだけに残念でならない。
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宮智 泉(みやち・いずみ)さん
読売新聞東京本社編集委員
東京生まれ。国際基督教大学卒業。1985年、読売新聞社に入社。水戸支局、地方部をへて、生活情報部。2009年1〜5月、カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院の講師を務める。同年6月より編集委員。ファッションやライフスタイル、働く女性の問題などを担当。
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