 フォトニュース
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新劇の役者と大阪の街を歩く(左から、石津、岡田英次、木村功、西村晃)
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中国から引き揚げて、大阪で会社を始めてまもなく、思いがけない再会がありました。「また洋服屋を始めたんだね」。懐かしい声は、敗戦後、天津の収容所で一緒だった信(しん)欣三さん。俳優座の公演で、全国を巡業中とのことでした。
彼は仕立て上がりの上着を見つけると、肩に引っ掛け、「ちょっと借りていくよ」と言うんです。
1951年(昭和26年)ごろのVANは、僕が欲しいと思って作った洋服を、もののわかる大人だけに買ってもらえればいいという発想でね。たいてい、自分が気に入った舶来品をまねて作っていました。
数日たって、欣三さんは、新劇の仲間を連れてきました。岡田英次、木村功、小沢栄太郎、千田是也、滝沢修、宇野重吉……。
当時、ファッションリーダーといえば、舞台俳優たちです。その連中が、「これ、いいね」「おれに似合うかな」と、VANの洋服に飛びついてきたんです。それで、僕は思い切って宣言した。「そんなに気に入ってくれたのなら、勘定は出世払いでいいよ」って。
彼らが「出世表」というのを考え出して、誰がいつ、何を着て行ったかを書き込むことにしました。「ここに名前を書いた人は出世したら必ず代金を払うこと」が約束事でした。
《52年、戦後初の男性ファッション・ショーが、東京・渋谷のデパートで開かれた。日本初の男性モデル・グループSOSが誕生したのは、その5年後。岡田真澄や菅原文太らがいて、VAN商品のモデルとして活躍していた》
人気俳優が舞台で着ていると、「あの服はどこで買えるのか」と話題になり、小売店から現金を持ってVAN商品の仕入れに来るようになったのです。まさに効果的な宣伝でした。
さて、「出世払い」の代金ですが、回収できたケースはありません。でも、大丈夫。皆出世してくれたおかげで、十分元は取らせてもらいましたから。
そもそも、僕が本格的に男物を手掛けようと決心したのは、天津時代に知り合った佐々木営業部(現レナウン)の社長、尾上清さんのアドバイスによるものでした。48年に神戸の実験店に呼ばれ、僕が紳士服、田中千代さんが婦人服を担当しました。香淳皇后のデザイナーでもあった田中さんは、芦屋や東京に服装学園を設立し、女性に服作りの楽しさを教えた人です。
僕の洋服は、進駐軍のPX(売店)関係者から素材を仕入れていたので品質は抜群。「こんないい商品を日本で作れるわけがない」と、密輸品と間違われ、警察に呼ばれたこともありました。(敬称略)
(2004.2.19)