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時代の証言者 都市づくり 鈴木 俊一

「意地」通し新宿に庁舎移転

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1991年に完成した西新宿の都庁舎(手前は議会棟)には、「豪華過ぎる」という批判も出た
1991年に完成した西新宿の都庁舎(手前は議会棟)には、「豪華過ぎる」という批判も出た

 美濃部都政時代の“ばらまき福祉”と組織の肥大化で、東京都の財政は実質2000億円近い赤字でしたが、職員の削減や退職手当の引き下げを行い、就任3年目の1981年度には黒字転換を果たしました。財政再建とともに、私は千代田区・丸の内にあった都庁舎の移転を考えていました。

 《東京府(都の前身)が丸の内に庁舎を構えたのは1889年(明治22年)。その後何度か改築を繰り返し、1957年(昭和32年)、丹下健三・東大助教授の設計で、移転前の庁舎が完成した

 丸の内庁舎は手狭で、周辺の32のビルに間借りしていたため、美濃部時代に、同じ場所で建て替えが決まっていました。だが、丸の内では土地が足りず、建て替えは無理だと判断しました。そこで、私が副知事だった60年に、水道局の浄水場を移転した跡地に造成した新宿副都心に目をつけました。当時の9区画(各約16・5ヘクタール)の中で残っていた3区画を庁舎に使おうというわけです。

 大来佐武郎(おおきたさぶろう)さん(元外相)に会長をお願いした審議会で「知事一任」を取り付け、85年2月、都庁舎の位置を変更する条例の提案を発表しました。

 「東京の人口の重心は西に移動している」。これが移転の大義名分でしたが、「首都の中心は千代田区」「都心部が地盤沈下する」と、周囲は猛反対です。7月に都議選を控えていたため、提案はいったん断念しました。

 しかし、これで引き下がっては、鈴木の政治生命は終わりです。何とか翻意させようと都議や都の幹部が説得にきましたが、応じませんでした。結局、私の意地に根負けした形で、9月に条例が成立します。庁舎を動かす都政100年の大計がこうして実現しました。

 《バブルで、都の税収は毎年急増し、89年度の積立金は1兆2000億円に達した。都は、1569億円を投じた都庁舎のほか東京ビッグサイトや東京国際フォーラムなど、1000億円を超える大型展示・会議施設の建設を進めたが、積立金で賄った

 91年4月、新庁舎がオープンします。設計は旧庁舎と同じく丹下さんです。完成が私の4回目の選挙と重なったため、パリのノートルダム寺院をほうふつさせる外観に対しては、「豪華庁舎」という批判が出ました。でも、雅致を凝らした芸術作品のようで、私は、国際都市東京にふさわしい、良い景観だと思います。

 ただし、幹部会議を開く部屋は天井が高過ぎて話が聞き取れない欠点もありました。使い勝手が疎(おろそ)かになった面は否めません。

(2004.3.31)


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