(2)異例の女性編集責任者
メディアで声を上げる
東京の国立国会図書館に、戦前、戦後にかけて重要な役割を果たした政治家らの談話を録音したテープがある。
市川房枝は、この談話の冒頭で語っている。
「当時、読売新聞が1ページ大の婦人欄を作りまして、その一番最初に小橋三四子(みよこ)さんの評論が出ておりまして。私、非常に関心を持ち、読売新聞に、東京に行きたい、なんて投書したことがあるわけなんです」
市川は「小橋さんは若い女性を感激させずにはおかないような論文などを執筆しておられました」とも書いている。(東大明治新聞雑誌文庫蔵「婦人記者」)
小橋とは何者なのだろうか。
読売新聞は1914年(大正3年)4月3日、日本の新聞で初めて、1ページを使った本格的婦人面である「婦人付録」を発刊する。その時、編集主任として入社したのが小橋だった。当時、30歳。
小橋が初めて、東京・銀座の3階建てビルにあった読売新聞編集室の扉を押した時、十数人の男の視線が一斉に注がれた。
部屋の隅の空いたいすに腰かけると、「あなたが編集をやるんじゃありますまいね」と声をかけられた。辺りから、男たちのひそひそ声。「婦人の記事で1ページなんぞ埋めようというのは無謀だ」「女に使われるのは嫌だなあ」
参政権がないなど女性の地位が低かった時代。女性を編集責任者として起用するのも異例なら、わずか8ページ程度の新聞の1ページをまるごと婦人面にあてるのも破天荒なことだった。
小橋は書いた。「婦人就職者の最も困難な事は、その俸給(ほうきゅう)の低廉な事。男子と比較すれば、ほとんどその二分の一。いつかはこれをやぶる戦いがなくてはなりますまい」
「女は愛され、保護され、ただ従順であればよいものとのみ教育されてゆくのは禍(わざわい)でございます」
小橋は、マスメディアで女性自身が声を上げる時代を切り開いた。
(敬称略。引用文は仮名遣いなどを改め一部省略)
|




















