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    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(1)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     「立派な冬瓜ですね」

     思いがけない男の言葉に、加奈子は動揺した。

     イヤなものを見つけられてしまったと思ったのだ。

     

     去年の秋。激しい雨の夕方。

     落雷による信号故障や大雨の影響で、首都圏を中心に大規模な交通障害が発生した日のことだ。

     加奈子は家の最寄り駅で立ち尽くしていた。

     郊外にあるターミナルで、近くに学校や研究所なども多く、運行再開を待つ人や駅員に詰め寄る人でコンコースはごった返している。

     「困りましたねー」

     話しかけて来たのは隣にいた若い女だ。といっても三十は超えていそうだが、加奈子から見れば十分若い。

     言葉とは裏腹に彼女は妙に(うれ)しげだった。

     「ええ、本当ですね」などと曖昧な返事をする。

     実のところ、加奈子には交通機関のマヒなどどうでも良かった。

     出かけるのはとっくに諦めている。

     どうせ大した用ではなかった。夫の会社がノー残業デーか何かで早く引けるため、気分転換に食事にでも行かないかと誘われていたのだ。

     今さら、夫と向かい合って食事をしても何も面白いことはない。

     早く帰宅する彼のための食事を用意する手間を考えれば、幾分マシかと思った程度のことだった。

     

     その頃の加奈子は、家から外に出るだけで相当の努力を要した。何をするにも気が乗らないのだ。

     メイクをして髪を整え、服を選ぶ。それだけの作業に、嫌気が差す。

     思うように動かせないのは身体だけではなかった。考えるのも億劫(おっくう)で、何をするにも今までの数倍時間がかかるのだ。

     その内に出かけること自体が面倒になり、結局予定をキャンセルしてしまうことも珍しくはなかった。

     前年の秋に、二十五年勤めた会社を早期退職することになった。

     仕方のないことだと頭では割り切っている。

     実のところ、加奈子はリストラされたわけではなかった。業績の悪化は事実だが、加奈子は(なた)をふるう側の立場だったのだ。

     だが、まさにそのタイミングで婦人科系の病気が見つかった。

     手術をすれば完治する病ではあったが、思いがけず予後が悪く、入院が長引いてしまった。さらにホルモンバランスの乱れが原因なのか、早く一線に復帰せねばと焦れば焦るほど、身体のあちこちに不具合が生じる。

     それまで、どれだけ無理をしても何ともなかったのに、肝心の時に言うことを聞かない。まるで自分自身に裏切られたような気分だった。

     会社に余裕がある時ならば休職して療養することも可能だったかも知れないが、経営の合理化、スリム化を推し進め、指揮を執って来た加奈子には、自ら会社を去るほかに選ぶ道はなかったのだ。

     続きはこちら⇒その(2)

     

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    2015年10月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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