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    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(2)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     加奈子の夫、和浩は茫洋とした男だ。

     「しばらく家でゆっくりするといいよ。君はこれまでが頑張りすぎだったんだから」

     「そうね……」

     優しげな言葉にうなずきながらも、腹の中で、やり場のない怒りがじくじくとうごめくような気がした。

     夫は闘争心や競争とは無縁の人間だ。

     のんびりと草を()む羊か何かのように日々が過ぎていく。そのことに疑問を感じない人種なのだ。

     当然、出世にも興味がなく、かといって打ち込むような趣味があるわけでもない。

     趣味らしい趣味といえば、読書ぐらいのもの。およそ彼が、がむしゃらに何かに取り組む姿を見た記憶がなかった。

     こんな男に何を言っても、加奈子の悔しさは理解できまいと思ったのだ。

     駅で隣にいた女には連れがいた。かさばる荷物の番を女に任せ、タクシー乗り場の様子を見に行っていたようだ。

     戻って来た相手に、女は飛び上がらんばかりの嬉しそうな顔をした。

     「どうでした? 仁さん。タクシー乗れそうですか?」

     「いや、ダメだな。あんな調子じゃ何時間かかるか……」

     低く響く、いい声だわと内心思う。さりげなく男に目をやり、加奈子は息を呑んだ。

     驚くほど魅力的な青年だった。セクシーで野性味に(あふ)れ、それでいてどこか陰がある。女であれば誰もが()き付けられずにはいられない種類の男だった。

     彼らの話を聞くともなしに聞いていて事情が見えて来た。

     彼らは顧客の家に出張して料理を作る料理人らしい。

     仕事でこの街に来たものの、思いがけず足止めを食ったようだ。

     もっとも、この後は予定が入っていないらしく、どこかのんきで、このイレギュラーなできごとを楽しんでいる風もある。

     「仁さんと一緒なら、私は野宿でも構いませんよ」

     冗談なのか本気なのか、そんなことを言って笑う女を見ている内に、邪魔をしてやろうかなどと意地の悪い思いが頭をもたげた。

     「あの。もし良かったら、うちでお料理を作っていただけませんか? お疲れだとは思いますけど……雨宿りがてらにでも」

     すんなりと言葉が出たことに驚く。と同時にびっくりしたような彼らの顔を見て、後悔した。いくら何でもこれでは唐突すぎるかと思ったのだ。

     だが、正直なところ加奈子は彼らの力を借りなければ、ここから動けそうになかった。このまま、いつまででも立ち尽くしてしまいそうで怖かったのだ。

     続きはこちら⇒その(3)

     

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    2015年10月20日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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