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    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(3)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     とりあえず二人にお茶を出したところで、携帯が鳴った。夫の和浩からだ。

     こちら方面へ向かう同僚の車に便乗して帰って来るという。どの道もかなり渋滞しているので時間はかかるが、必ず帰るという連絡だ。

     さて、どうしようと加奈子は思う。

     彼らのことを夫には知らせていない。

     結婚当初は互いの友人を招くこともあったが、最近は加奈子に余裕がないせいで、もう何年も来客がなかった。夫婦二人だけで暮らす家なのだ。

     退職してからの加奈子はここで眠ったように暮らしている。窓を開けて空気を入れ換えるほどの気力もなく、沼の底に沈んだ(おり)のようにただじっとしているのだ。

     夫は驚くだろう。

     開かれた客間などではない。キッチンは家の中でももっともプライベートな空間の一つだ。

     夫の留守に、美しく魅力的な青年を招き入れる。後ろめたいような、どきどきするような、妙な気分だ。

     もちろん、青年とどうこうしようなどと考えたわけではない。彼が一人ならば誘いはしなかっただろう。

     だが、見知らぬ男を家に上げることで、この澱んだ沼のような空気が一気に撹拌(かくはん)されるのを期待する気持ちもどこかにあった。

     加奈子が和浩と結婚したのは十年前、三十八歳の時だった。

     和浩は学生時代の友人だ。

     加奈子が卒業した当時、四大卒女子の就職は今では考えられないほど条件が悪かった。雇用機会均等法はあったものの、依然として男女差別が当たり前のように存在し、女子は結婚するまでの腰掛けか、仕事に人生のすべてを捧げる覚悟をアピールしてポジションを勝ち取るかのどちらかを選ばざるを得なかったのだ。

     後者を選んだ加奈子にとって、結婚という選択肢はなかった。その時点で、出世街道から外れてしまうことを意味したからだ。

     ただただ、がむしゃらに働くことで、道を切り拓いて来た感がある。

     だが、四十近くなり、ふと周囲を見まわしてみると、自分より下の世代は仕事も結婚も当然のように両立している。

     自分だけが割を食ったような、妙なむなしさを感じた。

     いや、本当は……、と加奈子は考える。

     もっともっと卑小でつまらないプライドのせいかも知れない。

     続きはこちら⇒その(4)

     

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    2015年10月21日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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