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    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(4)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     独身でいることで、加奈子を劣った存在、何かが欠けた人間だと決めつける人種が存在するのだ。

     もちろん、その分仕事で成果を出しているのだからと、気にしないようにして来たが、加奈子に出し抜かれた男たち、叱責した部下たちが「おーこわいこわい」「やっぱり独身の女はギスギスしてるよなあ」などと陰口をたたくのを聞くと、言いようのない腹立ちを覚えた。

     自分が男ならば、そのような中傷をされることはあるまい。

     努力で克服できない部分を揶揄されることは、加奈子にとって耐えがたい屈辱だった。

     この連中は、もし私が突然結婚したら、次は何と悪口を言うのだろうか――?

     悔しそうに口をつぐむ彼らの姿を想像すると、妙に愉快な気分になった。

     とはいえ、結婚となると事はそう簡単ではない。恋人と付き合うのとはわけが違うのだ。

     生涯を共にする覚悟をしなければならないのだから、誰でもいいというわけにはいかなかった。

     第一、相手にも選ぶ権利はある。婚活をするにあたって、三十代後半の女が有利であるはずもなかった。

     その時、ふと和浩が傍にいることに気づいた。生来の執着心のなさが原因なのか、彼もまだ独身だったのだ。

     他の男友達がすべてライバルであったのに比べ、闘争心のない穏やかな彼は、加奈子にとって一緒にいるのが苦にならない数少ない相手だった。

     

     実際に結婚してみると、彼との暮らしは拍子抜けするほど、楽だった。

     彼もまた一人暮らしが長く、家事を分担することも(いと)わなかったし、加奈子に余計な干渉もして来ない。

     それまでの一人暮らしとほとんど何も変わらない。同居人が一人増えただけのような生活に加奈子は拍子抜けした。

     これを愛とは呼ばないだろう。

     だが、一人、そそくさと済ませる食事の味気なさを考えれば、話をする相手がいるだけでずいぶん豊かな気分になった。

     もっとも、一方的に加奈子が愚痴って来ただけの気もする。

     加奈子がする仕事の話を夫はいつも、さも感心したように聞いてくれたからだ。

     「ああ。でも、困ったわ。材料を何も用意していないのよ。今日は外食の予定だったものだから」

     買い物に行こうにも外は激しい雷雨だ。バス停から家まで歩いた数分の間に、傘をさしていたはずの三人ともがかなり濡れてしまったのだ。再び外に出ることを考えるだけで億劫(おっくう)だ。

     そもそも、加奈子は余分な食材を買い込むことはしないようにしていた。

     夫婦二人だけの暮らしだ。年も年なので夫もそんなには食べないし、ましてやこのところの加奈子の不調だ。料理をする気力もないまま、出来合いの総菜を買ってくることも少なくなかった。

     冷蔵庫に日持ちしない食材があると思うだけで、プレッシャーになり、余計に気力がそがれてしまうのだ。

     夫は何を出されても文句一つ言わない。

     むしろ、加奈子を気づかってか、休日には自分が作るなどと言いだして、余計に加奈子を苛立たせた。

     在職中は帰宅が遅いことが多く、加奈子はあまり料理をしなかった。夫は外で済ませて来たり、何か作って加奈子の帰宅を待っているようなこともあったのだ。

     特別感謝こそしなかったものの、今のように鬱陶(うっとう)しく思うようなことはなかった気がする。

     では何故、今、こんなに苛立つのか。

     とにかく理解ある風な夫の態度に腹が立つのだ。

     続きはこちら⇒その(5)

     

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    2015年10月22日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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