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    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(8)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     出て来たのは冬瓜の翡翠煮(ひすいに)という料理だった。

     くせのない冬瓜を、貝柱のだしであっさりと煮てある。食べると、とろり、ほくほくと口の中で崩れ、決して悪くはない。

     だが、透明に煮あがった実はやはり寒々しい。

     同じものを夏場に冷やしていただく方が、涼味を感じて(うれ)しいのではないか、などと加奈子は少々意地悪く考えている。

     場違いだと思ったのも、あながち外れてはいないようだ。

     涼しげな見た目の食べものは、暑い日に食べてこそ値打ちがある。

     皮肉なことを考える加奈子の向かいで、冬瓜の料理を夫は涙を流さんばかりに喜んでいる。

     料理の秘訣(ひけつ)をたずねる夫に、料理人は、はにかんだような困ったような複雑な表情を見せた。

     彼からすると、この料理の出来は今一つらしい。

     いわく、翡翠煮は冬瓜の皮を極力薄く()く。それによって、皮の緑が残り、美しい翡翠色に煮あがるのだそうだ。

     中身は無事だったとはいうものの、時間経過による劣化のせいで、皮の部分は無傷とはいえず、分厚く剥かざるを得なかった。

     それを残念に思うのだと、彼は言った。

     ああ、それ見たことか、と加奈子は思っている。

     やはり、秋の冬瓜は旬を過ぎ、ここにいるのは場違いなのだ。

     

     「この人って、こんなにフレンドリーだっけ?」

     ふと気がついて、加奈子は驚いた。

     夫のことだ。

     初対面の客人たちと夫が楽しそうに喋っている。

     「色」から始まった話だ。

     翡翠からの連想で、青丹(あおに)、マラカイト。松葉サイダーだとか、(こけ)や粘菌。果ては盆景に蓬莱(ほうらい)山。話はビオトープにまで飛んでいる。

     そのほとんどは夫の知識だった。

     趣味が合うというのか、興味の対象が近いのか、無口だと思っていた仁までが、かなり饒舌(じょうぜつ)になっている。

     互いの話を受けて、会話がどんどん転がっていくのだ。

     こんな話題には興味がないはずだと思った助手の女さえもが、目を輝かせて夫の話に聞き入っている。

     加奈子だけが話の輪に入れずにいた。

     自分のよく知らない夫の姿を遠巻きに眺めているような気分だ。

     「素敵なダンナさんですねー。博識で、話上手で、優しそうだし」

     夫がトイレに立った隙に、助手の女に羨ましそうに言われ、加奈子はひきつったように笑みを浮かべる。

     何の面白みも魅力もないと思っていた夫が、自分の知らない世界を持っていたことがショックだ。

     ましてや他人からこんな評価を受けることがあるのだとは考えたこともなかった。

     思えば、加奈子と二人でいる時にこんな話をしたことはない。

     加奈子は仕事に関連することと、流行やファッションに関すること以外は、あまり興味や関心を持たずに来たのだ。

     夫は相手が興味を示さない話題を自分勝手に(しゃべ)るタイプではないのだと、今さらながらに気づく。

     加奈子は自分の取り皿に置いたままになっている透明な冬瓜の煮物を見やった。

     場違いなのは、実は自分なのではないか――。

     不意にそんな考えにとらわれる。

     続きはこちら⇒その(9)

     

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    2015年10月28日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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