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    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(9)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     いつまでも若いつもりでいた。

     子供を持たなかったせいかも知れない。

     子供を育てる経験をしなかったせいで、人として未熟であるというような決めつけを「母親」たちからされることがあった。

     マウンティングと呼ぶべきものなのか、それとも本気で憐れんでいるのかは知らないが、色んな場面で色んな人から似たようなことを聞かされてきた気がする。

     その「母親」は自分に近い友人だったり、親戚だったり、まったく通りすがりの他人だったりした。

     彼女らの言葉については、そうですかとしか言いようがない。どちらの人生を選ぶにせよ、一方しか経験できない以上、比較することはできないと思うからだ。

     そうではなくて、子供は親の年齢を自覚させる一種の装置なのではないか、と加奈子は考えている。

     子供の成長を間近で見守れば、季節の移ろいも、歳月の流れも、我が事として意識せざるを得ないのではないかと思うのだ。

     その意味では、「子供のいない人間は自分のことしか考えていない」という彼女たちの言い分も当たっているのかも知れない。

     

     人生を季節にたとえると、今、自分はどこにいるのだろうと思った。

     いつまでも年を重ねることに自覚なく、仕事に全勢力を傾け、輝かしい夏の季節に留まり続ける。

     それが悪いというわけではないだろう。それはそれで一つの生き方だ。

     だが、加奈子の場合は突然、その季節が終わってしまった。

     たとえば、夏の終わり、吹く風に涼しいものが混じるとか、少しずつ日が短くなっていくとか。

     そんな変化や兆しもなく、ある日突然、病気退職という形で夏が終わってしまったのだ。

     季節が進んでいることを認めたくなくて、夏のまま、時間を止めて繭の中に()もって来たのかも知れない。

     だが、周囲は着実に秋へと進んでいる。

     何も持たないと思っていた夫は、加奈子が夏の時間にとどまろうとあがいている間に、多くのものを蓄えていた。

     経済的なものばかりではない。精神的な成長や、老いに備える豊かさのようなものだろうか。

     同じ境遇にいて、いや、そもそも夫婦でありながら、彼だけが前へ進み、来るべき冬に備えているのだ。

     「橘さん。冬瓜ってほとんどが水なんでしょう?」

     加奈子の質問に、仁という名の料理人は驚いたような顔をした。

     「そうですね。九十六パーセントが水だと聞いています」

     「いかにも夏向きの食べものよね。涼しげで水分が多くて。いくら保存できたって、冬の冬瓜なんて寒々しいだけだわ」

     加奈子の声がよほどネガティブに聞こえたものか、助手の女が慌てたように言う。

     「でも、冬瓜のクリーム煮なんてのは冬向きですよ。グラタンなんかに入れても食感が変わっておいしいですし」

     「そうなの……」

     うなずいてはみたものの、どちらにしても寒々しい印象は拭えない気がした。

     続きはこちら⇒その(10)

     

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    2015年10月29日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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