文字サイズ
    「台所」から見えてくる様々な人生を描く連載小説。
    おりおり堂・番外編

    「冬瓜」その(10)

    • イラスト 小森のぐ
      イラスト 小森のぐ

     「じゃあ、これを召し上がっていただけますか?」

     あの日、そう言って、料理人が持って来た料理を、今、加奈子は教えてもらったレシピに従って再現している。

     少し時間と手間がかかるが、それだけの価値がある料理だ。

     まず、前日から干し椎茸(しいたけ)を戻しておく。

     料理人の彼は昨年、電子レンジを使って時間を短縮したが、やはり時間をかけて戻した方が断然おいしく仕上がる気がする。

     一口大に切った鶏もも肉には、酒、醤油(しょうゆ)、カレー粉で下味をつけておく。

     まずはその鶏肉からだ。フライパンにゴマ油を熱し、片栗粉をまぶして、じっくりと焼き上げる。

     おいしそうな焦げ目がついたら、一旦取りだし、油を足して冬瓜を(いた)める。

     そこへ椎茸の戻し汁を加え、もも肉、食べやすい大きさに切った干し椎茸を入れて煮込む。

     味付けは酒、醤油、みりん、カレー粉だ。

     後はとにかく、煮込むことだ。

     じっくり、弱火でことこと煮込む。

     

     今日は仕事は休みだ。

     加奈子は本を読みながら、火のそばにいる。

     「おっ。今日は冬瓜のアレだね」

     帰宅した夫が嬉しそうに言う。

     よく煮込んだ冬瓜は、カレーや干し椎茸、もも肉など具材のうまみを吸収し、こっくりと濃厚な味わいだ。

     去年、料理人の彼はこの料理を出さないつもりだったそうだ。

     どちらかというと中華風の味付けなので、夫の買って来たデパ地下の総菜と重なることを危惧したらしい。

     実際、翌日まで煮含めてもおいしいのだが、

     結局、あの場で供したのは、加奈子の態度に何か感じるところがあったからだろう。

     あの日、この冬瓜を口にした瞬間のことを今でも覚えている。

     食べるのに苦労するほど熱々で、とろりとした冬瓜の食感。()みしめると拡がる深い味わい。とろみのあるスープを口にすると、一見バラバラにも思える食材が絶妙のバランスでまじりあっているのが分かり、ため息が出た。

     冷えた身体がじんわりとあたたまっていくのを感じ、加奈子は驚いた。

     長い間、自分の身体が冷えきっていることにさえ、気づいていなかったのだ。

     「あったかい……」

     それまで縮こまっていたものが、徐々にほどけていくような不思議な感覚があった。

     

     あれから一年、体力も気力もずいぶん回復した。

     加奈子は今、昔お世話になった取引先の会社で嘱託として働いている。給料は以前とは比較にもならないが、学ぶことも多かった。

     たとえば、渦中ではなく、一歩引いたところから組織を見る。

     もどかしい思いをしたのは最初だけで、以前にはまるで理解できなかったものが見えるようになっていることに気づく。

     日々、勉強だ。こんな年になっても成長する余地があることに驚く。

     仕事以外にも色んなものに目を向けるようになった。

     通勤途中に目に入る草木や花々、空の色、道を歩く猫など。これまでは忙しくて気にもとめなかったものだ。

     最近、夫ともよく話をする。

     秋から冬への寒い日にもぴったりの冬瓜の煮込みを食べながら、今夜も色んな話をした。

     『二人で生きていけばいい』

     改めて、夫の言葉の意味を噛みしめる。

     歩いて来た道をふり返ってみると、どうやっても後ろへは戻れないことに気づく。

     手に入れたものと、得られなかったもの。 後悔はしない。すべて自分で選んだことだからだ。

     夏の季節が過ぎて、本格的な秋が訪れる。

     どこまで二人で行けるのかは分からないが、ここから続く冬の季節へ、彼と共に歩き出せる幸せを、加奈子は熱々の冬瓜とともに噛みしめていた。

     (了)

     

    「出張料理・おりおり堂 神無月~弥生」発売中

    「出張料理・おりおり堂」の単行本第2弾、「神無月~弥生」編が発売中です

    思いを寄せる料理人・仁の背負った「事情」を知り、踏み込めないまま助手を続ける澄香。
    「おりおり堂」の常連客が抱える問題も続々明らかになり――。
    迷える「船」は無事接岸できるのか!?

    安田依央・著、1600円(税抜き)

    中央公論新社のページは⇒ こちら
    2015年10月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    おすすめ


    くらげっとのつぶやき
    発言小町ランキング
    アーカイブ