中京、会心の23度目V

愛知▽決勝(熱田球場)
豊 田 西 002 001 000|3
中京大中京 600 102 02X|11
【豊】高山―高橋【中】真辺―前田、野田
▽本塁打 高橋(中)

 中京大中京が、初回の大量得点をバックに、着実に加点し、夏の甲子園初出場を目指した豊田西の悲願を打ち砕いた。

 一回、安打と四死球で無死満塁の好機をつかんだ中京大中京は、敵失と萩本の2点適時打でまず3点。さらに、スクイズなども絡め、打者11人で6点を奪った。4点差に追い上げられた六回には、高橋が右翼へ2点本塁打を放ち、八回には飯田の適時二塁打など3連打で、ダメ押しの2点を加えた。先発した真辺は、守りの乱れから3点を失ったものの、要所をしめて無四球で完投した。

 豊田西は三回、2安打と敵失、スクイズで2点を返した。六回には3連打で1点を奪い、なお無死一、三塁と攻めたが、後続を断たれた。

前日には完投今度は2ラン

 左翼から「背番号1」が全力で駆けてきた。「3年間、苦労してきたことが一気に吹き飛んだ」。歓喜の輪に加わった中京大中京・高橋孝典(3年)。本来、立つはずだったマウンドの上で何度も跳びはね、笑みをこぼした。

 前日の準決勝に完投した高橋は、「投げたい」気持ちを抑えていた。左翼からマウンドの真辺靖幸(3年)に「頼むぞ」とエールを送り、打撃に“専念”した。

 そして迎えた六回。1死三塁で、高めの直球をたたいた打球は、甲子園への夢を乗せて右翼席に弾んだ。じわじわと追い上げる豊田西の意欲を、たたきつぶす貴重な一撃。大藤敏行監督は「あの2点は大きかった」と振り返った。

 高橋の3年間は、けがとの戦いだった。1年の秋、エースナンバーをもらいながら、背筋を傷めてリタイア。治りかけた冬には疲労骨折で、休養を余儀なくされた。そして2年の春、今度は肩を痛めた。

 「投手をやめて野手になろうか」。悩んだ高橋に、ナインが声を掛けた。「おまえしかエースはいない」。母の和子さん(42)が、毎朝5時前に弁当を作り、送り出すときに励ましてくれた。冬場には一生懸命走り込んで、体を鍛えた。

 今春、医者から「投げてみないか」と許しが出た。再びブルペンに戻った。本来の調子には、まだ戻っていないが、完投できるまでに回復、この大会では4試合に登板した。「けががなかったら、今の自分はなかった」。代表決定のマウンドは「背番号7」に譲ったエースは、あこがれの甲子園では、「初戦のマウンドに立つ」。(山下 昌一)

 名古屋市昭和区。1923年創立と同時に創部。部員は84人。甲子園116勝は全国最多。最近では97年春に準優勝。OBに巨人の木村竜治ら。

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