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    学校 モノ・風景

    70年代、防災用に再登場…防空ずきん

    読売新聞教育部 伊藤史彦
    • ヘルメットに防炎布がついたタタメットズキン。左下が折りたたんだ状態(イエロー提供)
      ヘルメットに防炎布がついたタタメットズキン。左下が折りたたんだ状態(イエロー提供)

     「通学時は防空ずきんを肩からかけていた。空襲警報が鳴ると、一緒にいた妹の手を引っ張り急いで家に戻って庭の防空ごうに入った」。

     福岡県宗像市の渡辺富恵さん(78)が戦時中の国民学校時代の思い出を手紙で寄せてくれた。「防空壕の中では、ずきんをかぶったまま、ろうそく1本の明かりを頼りに家族と過ごした。防空ずきんは、怖く、苦しい時代の象徴でした」

     1937年、国民に空襲への備えを義務づける「防空法」が制定された。地域や学校で本格的な消火訓練が行われるようになり、主に火の粉から頭部を守るために広まったのが防空ずきんだ。埼玉県熊谷市の柴田康子さん(81)は、「母が着物をほぐし、中にふとん綿を入れて手縫いで作ってくれた」との手紙を寄せた。日本女子大には、当時の付属高等女学校の生徒らが防空ずきんをかぶりバケツリレーの訓練を行った写真が残る。

     45年3月の東京大空襲で、二瓶治代さん(79)は火の海の中を家族と逃げる途中、防空ずきんに火がついた。「あごひもをほどくと突風で体が吹き飛んだ。その後、焼け死んだ人たちの下敷きになっていた」。二瓶さんは今、東京大空襲・戦災資料センターで自身の体験を若者らに伝える。

     防空ずきんは戦後、東京などで大地震発生の可能性が指摘され始めた70年頃に、落下物から頭部を守る「防災ずきん」として再登場する。静岡市の防災ずきんメーカー「ファシル」では毎年5万枚前後を製造。大半が学校向けという。ふだんは教室のいすの座布団や背もたれの代わりになる。群馬県館林市のメーカー「イエロー」が販売する「タタメットズキン」は、折りたたみ式ヘルメットに燃えにくい素材の布が付いた防災ずきんの進化版だ。首都圏の小中学校などで配備が進む。

     渡辺正樹・東京学芸大教授(安全教育学)は「防災ずきんの備えだけでなく、災害時の安全確保を子どもが自分で考える指導も学校でしてほしい」と話す。(伊藤史彦)

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    2015年08月18日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun