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    学校 モノ・風景

    男女同タイプが一般的に…体育着

    読売新聞教育部 泉田友紀

     「戦後の物不足の時代で、用具がそろわない。服装もバラバラで、私は半ズボンに下着用のシャツ、はだしという格好で臨みました」。富山県射水市の佐野幸弘さん(71)は、小学校の体育着の思い出をそう振り返る。

     学校の体育着の歴史は、富国強兵の一環で旧制中学校などの男子生徒が着た詰め襟の上着と長ズボンに遡る。軍服をモデルにした格好で隊列行進などの訓練が「体操」の授業で行われた。

     一方、女子は和服を着たままダンスに似た「遊戯」などを行った。1905年、女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)教授の井口阿くりが、米国の体操着を参考にセーラー服と、ひざ丈まであるズボンを裾で絞った「ブルマー」の組み合わせを国に提案。当初は「はしたない」と批判されたが、運動のしやすさが健康な母体を養うとして次第に広まった。

     体育の歴史に詳しい掛水かけみず通子・東京女子体育大教授は、「軍国化の流れの中で体育着が導入された。その変遷から日本の近現代の一面が見えてくる」と話す。

     戦後、体育着は純粋に体を鍛えることを目指し、男子は白いシャツに白い半ズボン、女子は白いシャツに紺のブルマーが多かった。当時のブルマーは、綿製で伸縮性が弱く、たっぷりした形が「ちょうちんブルマー」などと呼ばれた。

     その後、64年の東京五輪女子バレーボールで、外国選手が着用した化学繊維のぴったりしたブルマーが人気を集め、女子の体育着としても広まった。

     89年、中学と高校の学習指導要領が改定され、男女が一緒に体育の授業を受けることになった。女子生徒から、体の線が出るブルマーを嫌がる声が大きくなったのもそのころからだ。

     現在は、白いシャツに紺の半ズボンなど、男女同一の体育着が一般的だ。

     京都市教委は、帝人フロンティア(大阪市)など製造元の協力を得て、児童生徒の卒業時に体育着を回収して素材に戻し、新しい体育着に再生する取り組みを2010年から進める。体育着を通した環境教育も広まりつつある。(泉田友紀)

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    2015年11月24日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun